岸見先生の『嫌われる勇気』で、ずっと気になっていた箇所。
「貢献」は、「貢献できているかどうかではなく、自分が貢献していると感じるか」というような
意味合いの内容。
私の行動を、「『自分が』、貢献していると感じる」
のであって、
私の行動を、「『人が』、あなたは貢献してくれている、と判断してくれる」
ではない。
それって、自己満足じゃないけ??
実際、人の役に立っているかどうかは関係なくって、
独りよがりで、役に立っているって思うってことじゃん??
って思ったりもしたのだけれども、
結局、人が生きて生活しているのは、
全て、それ、のような気もしてきた。
私が今の仕事に満足しているのは、
自分が、役に立っている、と、自分で勝手に感じているからであり、
自分の職業に、満足しているから。
でもそれが、実際のところ、役に立っているかどうか、
人それぞれ見えている世界が違うのだから、
本当のところは分からない。
「役に立っているよ〜ありがとう〜」と言ってもらったとしても、
その「役に立っている」と私の考える「役に立っている」が同じとは限らない。
判断は、結局、自分が自分の中でするものでしかなく、
どこまで行っても、自分の中の世界のことなのかも。
どんな職に就いたとしても、
その人がその職を、どんな風に思っているか、
自分が、どのように捉えているか、
それに尽きるのかもなぁ。
「貢献」は、「貢献できているかどうかではなく、自分が貢献していると感じるか」というような
意味合いの内容。
私の行動を、「『自分が』、貢献していると感じる」
のであって、
私の行動を、「『人が』、あなたは貢献してくれている、と判断してくれる」
ではない。
それって、自己満足じゃないけ??
実際、人の役に立っているかどうかは関係なくって、
独りよがりで、役に立っているって思うってことじゃん??
って思ったりもしたのだけれども、
結局、人が生きて生活しているのは、
全て、それ、のような気もしてきた。
私が今の仕事に満足しているのは、
自分が、役に立っている、と、自分で勝手に感じているからであり、
自分の職業に、満足しているから。
でもそれが、実際のところ、役に立っているかどうか、
人それぞれ見えている世界が違うのだから、
本当のところは分からない。
「役に立っているよ〜ありがとう〜」と言ってもらったとしても、
その「役に立っている」と私の考える「役に立っている」が同じとは限らない。
判断は、結局、自分が自分の中でするものでしかなく、
どこまで行っても、自分の中の世界のことなのかも。
どんな職に就いたとしても、
その人がその職を、どんな風に思っているか、
自分が、どのように捉えているか、
それに尽きるのかもなぁ。
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