「出す」って、
人のための行為ではなく、
そもそも「自分のため」
だったのかも!
人のために、「人に知らせよう」
とか、
人に、自分のことを「人の記憶の中に刷り込んでもらおう」
とか、
そういうのも、
実は全部、
人のためではなく
自分のための行為。
言葉も、
「人に」知らせているようで、
実は、自分が自分の脳に繰り返し叩き込んでいるという行為。
だとしたら、
人にやってもらわなくても、
既に自分の中で満たされていたら、
それを人にやってもらう必要って、
無くなるんだね!
わざわざ人に、持ち上げてもらわなくても、
自分で自分を持ち上げることが、できるんだね。
人が誤解しないように、
細心の注意を払って、
自分を人に見せようとすることも、
これも、結局、
自分のための行為。
「出す」って、
便も^^、
言葉も、
知識も、
シアワセも、
自分のために、
やっていたことだったんだね!
シアワセの伝播も、
実は、人のためではなく、
自分のためだったんだっていうのが、
なんか、よく分かる気がしてきた。
人のための行為ではなく、
そもそも「自分のため」
だったのかも!
人のために、「人に知らせよう」
とか、
人に、自分のことを「人の記憶の中に刷り込んでもらおう」
とか、
そういうのも、
実は全部、
人のためではなく
自分のための行為。
言葉も、
「人に」知らせているようで、
実は、自分が自分の脳に繰り返し叩き込んでいるという行為。
だとしたら、
人にやってもらわなくても、
既に自分の中で満たされていたら、
それを人にやってもらう必要って、
無くなるんだね!
わざわざ人に、持ち上げてもらわなくても、
自分で自分を持ち上げることが、できるんだね。
人が誤解しないように、
細心の注意を払って、
自分を人に見せようとすることも、
これも、結局、
自分のための行為。
「出す」って、
便も^^、
言葉も、
知識も、
シアワセも、
自分のために、
やっていたことだったんだね!
シアワセの伝播も、
実は、人のためではなく、
自分のためだったんだっていうのが、
なんか、よく分かる気がしてきた。