広島の弁護士事務所で働く母が、お家に帰って勝手に楽しむブログ

楽しいことの寄せ集め。自己満足プライベート日記

事実の釈明

人が人に苦情を言うとき。
きっと事実はどうでもよくって、
「【苦情の出来事】のように『自分は感じている』」
っていうことを、「理解してもらいたい」。


これが一番大きいのかもしれないな。

だから、特に責任とか保証とかがどうこういう世界でないときは、
本当は、事実の確認なんてあんまり必要なくて、

相手が提示する事実が、
どんなにおかしな事実であろうが、
間違った事実であろうが、

「あなたがそう感じた」
「あなたにとってはそう見えた」ということが一番の事実。

だから、最初は、「相手の見えた相手の事実」を、
訂正したり否定したり、
釈明したりは、
必要無いのかもね。

「相手の事実」なんだもん。
間違いのない、紛れもない、「相手の事実」なんだもん。

「そうなんだね。そう見えたんだね」
そこに、「私」は居ない。

相手の見えている世界を、
ただただ、ありのまま、
認める。

責められている人って、どこにも居ない。

居るのは、
「そう感じている人」。
そこには「私」は居ない。

困っている相手が、
私を責めている(と感じた)とき、
実はそこには「私は居ない」。

その人が見えている世界での出来事。

 

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もし、事実の釈明が必要なのであれば、
それは、
相手が相手の見え方を、
すべて出し尽くした後、これ以上出なくなった後、
なのかもしれないな。

自分の存在がおびやかされていなかったら、
最後まで、
相手が自分の思いを出し尽くすまで、
聴くことができると思う。

自分の存在に自分が自信を持っていたら、
何人たりとも、私の存在をおびやかすことなどできない、ということを、
自分が自分の心に刻み込んでいたら、

相手の見え方は、相手の世界で相手が作り上げていることなのだと、
理解し、冷静に聴くことができるのだと、思う。

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