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広島の弁護士事務所で働く母が、お家に帰って勝手に楽しむブログ

楽しいことの寄せ集め。自己満足プライベート日記

STEP/TEEN7章 論理的結末。いつのまにやら実践していた?

「論理的結末」の章。

私これ、STEPのときからずっとそうだったけれど、
とてもとても実践できる気がしなかった。


"感情がこもったり、
相手に対してどうにかさせようとかいう意図が少しでもあったりすると、
すぐさま「罰」になってしまうから、
そんなときは使えない"

らしいから、
それなら、
私は、まだ使う時期ではないし、
私は、使う「役割」ではないな、と思って、

ずっとほったらかしにしていた。

これが必要な場面は、これができる人に
丸投げしておこ~ヽ(´▽`)/。


とか思っていたのだけれども、


実は、


私、もう知らんとまに、

実践できていたのかもしれないんだって!ヽ(´▽`)/。



知らんかった!!




ってことは、ほんまに、心から、
「操作の意図無く」、
無意識のうちにやっていたってことだから、

こりゃ、ほんまにできてた!ってことか!( ´艸`)。


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「論理的結末」って言ったら、
オレンジ本に書いてるように、

何かの取り決めをして、できなかったときにどうするか話し合って、
もしできなかったとき、
「あなたはまだ~することができないようね。
では2週間後にまたできるかどうか、試してみましょう」
みたいな、定型文が、

自分の中では強烈なイメージがあり、

これが「論理的結末」のやり方だと思っていて(笑)、


こんなの、めっちゃイヤやん!(≧w≦)


試されるのってなんか緊張が走るし( ̄▽ ̄)、
失敗が起ることを期待(=負の期待)されとるみたい(笑)やし、

これを、冷静に言えたとしても、
どう聴いても、そこに信頼や愛は、感じられんことないかい!?

って思っていた。


そしたら、別に、この定型文を使うことが「論理的結末」というわけではなく、


何も言わないだとか、
おだやかに話し合ってやり方を問いかける、話し合って決める、だとか、

それも、「論理的結末」を実践しているってことになるんだって!(≧w≦)。


それなら、
私、普段、めっちゃ使えているやん!

・学校の支度、
・ご飯を炊く係、
・洗濯物の回転、

全て子に任せて、日々
結末の体験、いつの間にかにしてもらいまくり!!(笑)

私、最初にちょっと話をしただけで、後は何もしなくても、子は
勝手に体験して、勝手に学んで、勝手にやってくれとるわヽ(´▽`)/。


「~できなかったときは、~して、2週間後に試してみましょう」(笑)ってのは、
別にやらなくても、言葉にして言わなくても、

~できなかったときの体験を、すでに自らしてもらっていたのかも。
 
 

学校の支度。
忘れ物があるのかないのか、それさえも私は知らんし(笑)、
完全にノータッチ。勝手に学びようるんやろう。


自分の食べる分のご飯は自分で炊くようにしているので、
炊かないとそのときはご飯無しでおかずだけになるし、
炊きたてが食べたいとか、冷やご飯でもいいのでまとめて炊くだとか、
その辺の采配は、自由に任せている。


洗濯も、洗濯かごに入れていなかったら、
洗濯の便(笑)に乗れずに、汚れた服を着るだとか、なんか知らんけど
きっと自分で調整しようる。



「論理的結末」って、「しつけ」とか「怠慢したときの代償」(笑)とかとは、
全く違って、

「相手を信頼して任せること」、


私の大得意な(笑)

「丸投げ!!」

と似ているのかも!と思った。



罰を与える気持ち?私には全くないわ!ヽ(´▽`)/

なんや、大成功しとったんやん!!


なんや、一瞬、「丸投げ」「放任」みたいなこれらって、


相手を信頼して、
任せている、
=「論理的結末」を知らんと間に自ら勝手に体験しよる

ってことかぁ!ヽ(´▽`)/。


おもろ~~!!
 


なんや、簡単やったんやん!(≧w≦)←今だから言える(笑)。
めっちゃ難しくてできる気がせん!!と数年ずっと思っとったけど、

こういうことやったんか!と思ったわ。



相手を信頼して任せているから、

もし決めたことができなくて何か起っていても、
私には、痛くもかゆくもない(≧w≦)。、
そしたら、
そこに、
怒りや、罰する気持ちって、

全く入ってこないわ。


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演習でロールプレイをしたときにも思ったのだけれども、

・自分が困っていること、
・助けて欲しいこと、
・協力して欲しいことを、

「伝える」

のに、苛立ちや怒りって、必要無くって、


それらを伝えるときに苛立ちや怒りが沸いているっていうのは、
もしかしたら、

・困る自分
・助けてもらわないといけない状況にある自分
・協力してもらわないといられない自分

に対して、

自分の中に罪悪感や、苛立ちや、あるときなのかもなぁ、と思った。



・困っている自分。
・助けてもらいたい自分。
・協力を必要としている自分が、


堂々と、


「今、私は、困っているんだべ!(・0・)
協力してもらえたら、うれしいべ」



「それ以上でもそれ以下でもないべ(・0・)」


だべだべだべ(・0・)(←誰じゃ・笑)



って、自分の気持ちを自分がきちんと知っていて、
それをそのまま何の罪悪感も無く開示する。



私のすることと言ったら、

もしかしたら、

これだけなのかもしれんな。


後は、どうするか、どう受け取るか、
決めるのは相手の自由。




「悲しい」とか
「不快だ」とか
「困っている」とか、
マイナスな気持ちを伝えるときに、

苛立ちや怒りを乗っけてしまうのは、

そんな感情を持った自分の罪悪感を、
自分でごまかしているのかもしれないな。


いや、
堂々と、


悲しい!!
不快だ!!
困っている!!

私がそう感じたんだから、それが事実なんだ!!って、
慄然としていればいいんだ(^^)。




相手を動かすために、感情を使わなくても、
「これが今のわたしだべ(・0・)」そのまま言うだけ。

そしたら
何か、相手のできる案を出してくれるかもしれんし、
相手のできることをしてくれる。考えてくれる。


相手もできなくて、自分もできないことは、
しゃーないから、

できないときは、
自分もやらないだけ。


できないのに、やろうとすると、
しんどいから、
できないことは、できないので、やらない。

できないのに、ごまかしてやろうとすると、
また苛立ちとか沸くだけだから、
やりたくないときは、やらない。
やるときは、「やりたくてやっている」
「やる、ということを、
私は選んで、やっている」っていう自覚を持ってやる。


くらいかな(^-^)。




心理学がシンプルだ、というのは、
こういうことなのかもしれないな。


ごまかさずに、
偽らずに、
そのまま。



罪悪感が無いから、

というか、

そもそも、私たちに罪なんて無いから(笑)、

隠したり、偽ったりごまかしたりしなくっても、


イイ!!


あぁしたり、こうしたり、
ごまかしたり操作したり、

な~んもしなくても、


正直な自分、今、そこに居る、そこで今、感じている自分、
この感覚。

それが全てOK!!


そこから全てが始まるのかもな。



そんなんしていたら、いつのまにかに、
オレンジ本のやり方、実践していた!ってことになるのかもな。



てか今日も、世の中のみな、
知らんと間に、「論理的結末」も「自然的結末」もたくさん実践しとるな!

気づいていないだけで。意識していないだけで。

そして、意識する必要も、無いのかもな。


もしかしたら、生きる過程全てが、
自然的結末と論理的結末で成り立っているのかもしれん。


誰もが、
勝手に流れて、勝手に学び、勝手に成長していく。

おもろいなぁ~(^-^)。


んで、今これ気づいた!ヽ(´▽`)/とか思っているまさにこの事も、
何年後かには、いや、何日か後には、あぁこれやっぱ違ったわ!とか言いようるかもしれんしな!( ´艸`)
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