広島の弁護士事務所で働く母が、お家に帰って勝手に楽しむブログ

楽しいことの寄せ集め。自己満足プライベート日記

罪悪感は宝だっていう感覚が、少し分かったかも!

有名な子宮委員長はるちゃんのブログ。
一見、自分の生き方とは真逆のように見えて、

なんでこの方のブログに魅かれるのか、

自分でも不思議だったんだけれども、

 

昨日、なんとなくすっと、その片鱗が見えた気がした。


私から見た彼女は、
世間の常識にとらわれず、
自分の好きなことを好きなようにやっている。
そのレベルが、そんじょそこらに転がっているレベルではなく、

私の考える枠を大きく外れるもの。

だから、

なんだかとても気になる。

すげーな!って思う。

 

「罪悪感」を見つけたら、

そえは「宝」だから、

見つけた!って喜んで、

ゾワゾワしながら、オエオエなりながら(笑)、

敢えてそれに立ち向かって、

バンジー飛んで、

罪悪感無くしていく。

罪悪感を潰していく。

というようなことが書かれていることがあった。

 

その感覚が、意味が分からなかった、

「罪悪感」が宝??とか思っていたけれど、

 

昨日、ふと、これか!と思う瞬間があった。

 

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お子さんのお世話を、旦那さんにほぼ丸投げしている感じに

見える彼女。

私も、夫や学校や学童保育にかなり子を丸投げしているつもりだったけれど、

昨日、ちょっと罪悪感が疼く事があった。

 

運動会の後、学童保育に行ったのがうちの子一人だけだったと聞いて、

胸が痛んだ。

他の子も行くと聞いていたから、

うちの子も行くことにしたのだけれども、

他の子は急遽予定変更して、自宅に帰ったと。

この日、学童保育に「預けられた」のは、うちの子一人だけだったと。

 

学童保育を使い倒し(笑)、

ここの学童保育の「主」であるかのように、

ここに一番馴染んでいるうちの子。

利用時間もどの子よりも一番長い。

そして、一人っ子であるうちの子は、

家に帰っても一人でゲームをしたりだらだらするだけだから、宿題は学童保育でやって、

学童保育で友達や先生と遊ぶ方のも楽しいヽ(´▽`)/と言っている。

 

だから、

 

子は、学童保育に預けられたのが一人でも、

これっぽっちも悲壮感なんて持っていないし、

けろっとしている。

なんの心配もない。

 

それを、「かわいそう」と思う人が居たら、

それはその人の見方に過ぎない。

 

だから大丈夫!

 

なのに、そわっとしたんだよね。

 

 

み・つ・け・た!!

 

私の罪悪感!!

 

 

って思った(笑)。

 

 

「罪悪感を補うため」に、
我慢したり、自分を犠牲にしたりするのは、

もう止めよう、と、思う。

 

だってこれ、私が私の中に勝手に作り出した

勝手な罪悪感であって、

子は全く困っていないし、誰も困っていない。

なのに勝手に私が罪悪感感じて、

ここで私が我慢したり、無理したり、やりたくないことやって
罪悪感を補う行為をしたら、

私の中だけに勝手に「子のために、頑張ったのに!!!無理したのに!!

自分を犠牲にしたのに!!!」っていう憤念ばかりが涌いて、

勝手に、機嫌悪くなったりして、

 

子は最初っから何にも問題持っていなかったのに、

 

私、なにしようるん?アホかいな??(笑)

自作自演で、自分で勝手に・・(^^;)。

 

ってことになるわなー!

 

 

お子を旦那さんに丸投げして、

子育ては夫がするもの。

自分は、可愛がりたくなったときにいじりに行って、

いじりたいだけいじる。

子育ては男がするもので、女は機嫌よくしていることの方が大事。

そんな感じでも、

それが両方が心地よければ、それもアリなんだ!

そして、その方が、うまくいっているように見えるのは、

 

その形が、両方にとって心地よく、両方がご機嫌だから。

誰も我慢していない。

誰も、罪悪感をつぶすための犠牲を担っていない。

 

 

 

「罪悪感をつぶすための犠牲」は、

「不平不満」を生む。

その逆に、

やりたいことやれたときは、

「感謝の念」が生まれる。

 

 

罪悪感が宝っていうのは、

こういうことなのかもしれないな。

罪悪感のモト。怖いけれど、

バンジー飛んで、

敢えて挑戦すると、

「感謝の念」が涌く。

好きなことさせてくれてありがとう!!!って、

感謝の嵐が涌く。

だから、「宝」なのかも。

 

 

怖いのは、人の目?

そんなことさせて「かわいそう」とか思われるのが怖い?

それは、人の目ではなく、自分が見ている目。

人のことをそう見ている自分がいるから、

そう見えるだけ。

かわいそうかどうかは、本人に聞いたらいい。

自分がかわいそうだと思っているか?と。

「この子かわいそう」だと思う方が、失礼かも。

せっかくどんな環境でも楽しめる能力を持っている子に、

あなたは「楽しめないはず」って、無能力の看板をかけているってことだもんな。

 

 

この例はただの一例で、これに気が付くただのきっかけ。

 

「罪悪感」は、自分が勝手に作り出していることだから、

見つけたら、

敢えてそれをやる勇気。

それを飛び越えたとき、

それは実はなんでもないことであって、

自分が勝手に作り上げただけだったということに気づいて、

罪悪感消えて、楽になる。

 

 自作自演を、取り払うのも、自分なんだね(^-^)。

 

「罪悪感」見つけたら、

それ、そこ、まだ人を信じ切れていないポイントだよ。

って、教えてくれているのかもな(^-^)。

 

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