広島の弁護士事務所で働く母が、お家に帰って勝手に楽しむブログ

楽しいことの寄せ集め。自己満足プライベート日記

STEP/TEEN10章 総まとめの章は、圧巻だった!

岡山STEP/TEEN。

これが、一番最後の章。

STEPからSTEP/TEENを通しても、

一番最後の総まとめの章。

 

これは、さすが。

素晴らしい内容だと感じた。

テープの一番最後も感動的だったし、

出てくる事例が、

ちょっとそこらへんには転がってはいない重い内容だけれども、

だからこそ、

もしこんなことが起こっても、「大丈夫」と思えるような、

何が起こっても、

やることは、同じなんだってことに気がつくような、

そんな内容だと、私は感じた。

 

STEPでは8章の家族会議のテープ。

STEP/TEENでは10章の最後のお父さんの台詞のテープが、

また聴きたい。できれば繰り返し聴きたいな^^。

 

どんな状況にあっても、

ベースに熱い「信頼」がある、っていうのが、

ひしひしと伝わってくる。

 

 

よく聞く言葉だけれども、

 

「他人は変えられない」

 

このフレーズが改めて出てきたけれど、

 

心の底から、「信頼」「自信」があったら、

そもそも「他人を変えよう」という気持ちが発生しなくなる。

そういう次元とは、無縁なのかもなぁ、って思った。

これは、それが自然にできるようになるためのプログラムなのかもな。

そもそも、大丈夫なのだから、

変える必要って無い。ってな話。

 

 

 

心を大きく揺さぶるような大きな事件が起きたとき、

そんなときでも、

やることは、一つ。

「できることを、するだけ」

 

ニーバーの祈り
 

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

 
 

 God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, courage to change the things that should be changed, and the wisdom to distinguish the one from the other. 

 

 

「相手を信じること」「自分のできることを、する」。

 

これは同時に、「自分を信じること」でもあるのかもなぁ。

 

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「重い事例」を読んだとき、

私の中に、もしこれを恐れるとしたらどの点が怖いのか

考えてみた。

そしたら「世間体」って言葉が浮かんだ。

 

世間にどう説明したらいいのか、とか、

世間に後ろ指、指されるのが 怖い、

 

かもな、と真っ先に思った。

反対に、だ~れも居ない、無人島にいたら(笑)、

まずそこは、心配要らないから、

純粋に、「どう対処するか」だけに向き合えるな、と思った。

「どう対処するか」は、「どうにかなるもの」という感覚があって、

むしろ私はこちらには最初からあまり不安がないのかもと思った。

 

 

 

私が、生きるのがものすごく楽になったのは、

「人を見張らなくなったから」

かもしれないな、と最近よく思っていた。

 

人を見張らない。

人を評価しない。

人をジャッジしない。

 

 

視力が0.1以下でも敢えて裸眼で過ごし(笑)、

敢えてぼ~っとした世界しか見えないようにしているのも、

実はこれにかなり効果があると感じている(笑・(*'▽'))。

 

 

人のこと、あんまり見えないから、気にならない。

人のこと、自分が見なかったら、

自分も人に見られているなんて思わない(笑)から、

人のこと気にしなくてよくて、

生きるのが、とても楽。

 

 

私の中では、「人からどう思われるか」をクリアすると、

 あらゆる問題が、問題ではなくなるのだと思う。

 

それだけ、自分も「人を見ていた」ってこと。

 

人を見張って、

人を評価して、

人をジャッジしていたってこと。

人の顔色を、伺っていた。

 

 

人を「見張らない」

人を「信頼している」世界というのは、

 

自分の中と対話をし、

いわば、

「瞑想」のような、

そんな世界。

そんな生き方。

 

 

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 自分が見えているように見える。

 

それは、STEPのテキストだけでなく、

きっと、世の中のあらゆるものが、

そうなんだろうな。

 

物事は、それを自分に教えてくれているだけ。

 

起こる物事は常に、自分対話の材料、なのかもしれないな(^-^)。

 

 

 

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岡山から帰ると、いつも通り、

夫と子が、家で待っていてくれた。

 

早朝のまだ暗いうちから家を出て、

丸一日こうして楽しみ、深夜に帰ってくると、

 

夫は一日子と遊び、

何も言わなくても明日のご飯の支度までしてくれている^^。

そして、私が楽しんでいれば楽しんでいるほど、

嬉しそう(^-^)。

 

男の人は、女の人を喜ばせるのが喜びなんだなぁって、

ホント思うわ。

 

子も、また新たなゲームソフト買ってもらったらしく、

ご機嫌(笑)。

 

 岡山に通い始めて3年。

かけがえのないものを手に入れたように思う。

 

自分がうるおい、

家族がうるおい。

 

そして、私は、

たくさんの人に愛されて育ったと確信した。

TEEN10章のラストのお父さんのような言葉がけを、

うちの両親ともが、するだろうな。

 

事例は違っても、あんな事件が起こったとしたら、

たぶん、うちの両親とも、

あんな言葉がけを

してくれるだろうな、と思った。

 

自分はとても愛されて育ったんだと、

改めて思った。

 

そう思えなかった時期は、

そう思わないことがかっこいいと勝手に思って(笑)、

不幸ごっこするのがカッコイイと思って、

一人で勝手に不幸ごっこして酔っていたわ(≧w≦)。

 

 

そして、そんなことを思いながら帰った帰途のJRで、

たまたま名作集に入っている太宰治を読んだ。

学生時代にはまった作家。

学生時代、彼の初期と後期の作品は好きだったが、

中期の、一番売れている時期の作品は、

当時あまりピンとこなかったのだけれども、

今はとても響いた。

 

同時代の、彼がとても尊敬していた井伏鱒二

他の作家の作品も同時に編集されていたので目を通したが、

やっぱり何度読んでもピンと来ない。頭に入ってこない。

入ってくるのは太宰の文章だけ(笑)。

太宰治の文章が、私は彼の一文が短くて歯切れの良い文才が

昔から好きだったぁと思い出した。

 

私が不幸ごっこ(笑)をしていたときは、

太宰の後期の作品に、吸い付くように惹きこまれたなぁ。

 

中期の作品のよさが分かり始めたのは、

今、自分が希望を持って生きているからかも。

定番過ぎて、当時あんまり好きじゃなかった『走れメロス』を、

あぁ、これが、教科書に載るくらいの名作っていうのは、

分かる気がする、と思った。

当時は、なんか、「作っている」ような作為感、偽善感を感じて、

あまり好みでは無かったんだよね。

 

作品の読み方から、今の自分が見える。

 

 

形は違えど、私は、

学生の頃から、同じようなことをずっとやってきたのかもしれないな。

 

こういうのが、好きなんだな(^-^)。 

 

 

***

STEP後の感想を書くと、

いつもこんな風に

バラバラといろんなネタが飛び出してきて、

まとまりのない日記になるけれど、

書き直したり、主題を決めて編集し直すのは

面倒なので(笑)、

そのままにしておく(≧w≦)。

感じるまま、思うがまま。そのままで残しておく。

 

ってなことを書いているうちに、もう一つ、

浮かんだけれども(笑)、

もう長すぎるので、続きは次の日記に書く(^-^)。

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