ちょっと前に、心屋さんのところで
こんな言葉を見つけた。
「自分の不幸は蜜の味」(笑)。
まさに、そうだね(笑)。
自分の過去の不幸って、なんて蜜の味(笑)。
なんかのきっかけに、
掘り出してきたもんなら、
いっくらでも浸れるわな(≧w≦)。
でもそれを、出す場所、浸る場所を選ばないと、
不幸の蜜は、10倍にも100倍にも増長されて、
面倒くさいことになるな( ̄▽ ̄)。
問題が、どんどん大きくなるな。
別にどーでもええような、小さな事柄が、
大問題に形を変えることがあるな( ̄▽ ̄)。
ぶつけた相手が、
私が恐れたり不安に思ったりしたポイントと
また違うポイントに刺激されて、
今度は相手が相手自身を守るために
何かをぶつけてきたり(笑)。
あ、自分は、
何かを「分かってもらいたい」んだな、
と気づいたら、
そこで一旦立ち止まろう。
同時に、相手も、相手自身のことを、
「分かってもらいたい」と思っている。
両者が同時に相手に分かってもらおうと
押し付けあうと、
ぶつかるわな(≧w≦)。
自分が悲しみを持っているのと同じように、
人もまた、違うポイントで悲しみを持っている。
「分かってもらいたい」と思ったとき、
相手も同時に、
「分かってもらいたい」と思っている。
自分の気持ち、相手の気持ち、
分かる、分からないじゃなくて、
分かろうとする、ということ。