広島の弁護士事務所で働く母が、お家に帰って勝手に楽しむブログ

楽しいことの寄せ集め。自己満足プライベート日記

自分が自分に「条件付きの愛」を課していただけのこと。

友人の言葉で気づいた^^。

 

「自分の不幸は蜜の味」(笑) 


 だけど、

自分の幸せも、もちろん幸せで、蜜の味。

 

なんや、どっちに転んでもシアワセやん!

 

ナニこれ(≧w≦)。

 

って思っていたら、

 

シアワセかどうか、自分が「幸」のステージに居ることにするか「不幸」のステージに居ることにするか、

どっちを選択するかって、

 

そのとき所属している場所によって、

無意識のうちに、「使い分けていた」!!ということに気づいた。  

 

 

 

 

今、ここに所属している間は、

自分が「シアワセ」な状態でいると、

人の関心を引けない。

もうあなた大丈夫でしょ、と放っておかれる。

かわいがってもらえない、

大事にしてもらえない、

 

と感じたら、

無意識のうちに、自分は、

弱くてかわいそうな存在に成ろうとする。

 

そうすることで、

愛をもらいたい人から、より愛されると

感じていたから。

他の人に愛を盗られないためには、

自分は、より弱く、より不幸でいる必要があって、

そんなフリは、無意識のうちにいくらでもできた。

 

弱いこと、かわいそうなこと、不幸なことが

起こったら、

「ほれ来た!」と(笑)、待ち構えていて、

そんな貴重なモノ、

絶対放さないぞ。忘れないぞと、

後生大事に持っていて、繰り返し繰り返し、

何かの機会に使う(笑)。

 

それは大事な大事な宝物であり、

武器であるから、

決して忘れることはないし、

成仏させることはない(笑)。

 

繰り返し繰り返し、思い出しては、

どんどんどんどん装飾を付けて、

さらにドラマを劇的なものにして、

自分を悲劇のヒロインに仕立てる(笑)。

 

なんでそんなことをするのかと言えば、

 

そうした方が、「愛される」、と、

思っているから。

そこの集団では、そうあることが、

最高の愛され術だと分かっているから。

 

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それが一方、

所属する場所が変わって、

人の不幸を見ると怒るような人の目の前に行った場合。

 

さっきのように、不幸なフリをして、

不幸に浸っていればいるほど、

愛されないのかも・・。と、だんだん気づいてくる。

 

あれ、おかしいぞ。と。

 

そこでギアチェンジして、

シアワセ、楽しい、を選択してみて、

シアワセ、楽しいばかりに注目してみるようにすると、

 

あれあれ、今度はなんだか

どんどん愛される。

 

シアワセを感じていて、よかったんだヽ(´▽`)/!!

 

と気づく瞬間。

 

 

 

ただ、それだけのことだったのかもしれない。

 

実態は、同じ人間が一人いるだけなのに、

所属する所によって、

相手によって、

そこに適合するように、

自分が勝手に考えて、

そのとき自分がベストだと思う方法を

選んでいただけだったんだ!!

 

 

だからもともと、

幸も不幸もなくて(笑)、

全部全部、自分が作り上げて利用してきただけのこと。

 

 

条件付きの愛」を、自分が自分で作り上げていただけのこと。

 

 

私が弱ければ弱いほど、

私を心配して、私に構う相手の存在が必要となる。

私が愛されるためには、弱い方がいい。

不運であったほうがいい。

相手も、自分の存在感を増すために、

私が弱い存在であるということを、

無意識のうちに望み、

お互いが共依存関係を作っていたのかもしれないな。

お互いが、条件付きの愛。

 

 

 

私が愛されるためには、

私は弱い方がいい。嘆き悲しんでいる方がいい。

 

私が愛されるためには、優等生であった方がいい。

 

私が愛されるためには、人の言うことに

素直に従っていればいい。

 

 

状態から、

 

私が愛されるためには、

私がシアワセであった方がいい、

 

私は私の声を聴いて、自分を大切にした方がいい、

に変わっただけなのかも。

 

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これだから、愛される。

これをしたら、愛される。

そういうのを全部取っ払って、

 

何もしなくても、愛される。

ありのままの自分が愛される。

 

になったとき、

人はもっともっと自由になれるのかもな。

 

 

 

そして、それは、どんな状態のときか。

 

 

それはきっと、

 

自分が、無条件で自分を受け入れたとき。

 

 

うまくできた自分は許せるけれど、

失敗した自分は許せない。

ニコニコしてご機嫌な自分は許せるけれど、

イライラしている自分は許せない。

合格した自分は許せるけれど、

不合格だった自分は許せない。

褒められた自分は許せるけれど、

怒られている自分は許せない。

活躍している自分は許せるけれど、

恥をかいている自分は許せない。

人の役に立っている自分は許せるけれど、

人に迷惑をかけている自分は許せない。

 

そんなジャッジが自分の中にあればあるほど、

 

自分は自分に対して「条件付きの愛」を

課しているのかもしれないなぁ。

 

 

ここだったここだった!!

 

 

 

幸でも不幸でも、

それは自分がどっちに自分を操作しようとしているかの違いだけで、

 

もとから「不幸な私」とか「不運の私」

という存在って、無いのかもな。

起こったネタを、どう利用しようとするか。

自分が利用したいように利用していたというだけのこと。

目線を変えると、同じ出来事を、

一瞬で、「幸」に変えることもできる。

 

 

自分の都合の良いように、

勝手に自分で勘違いし続けるドラマなのかもしれんな(笑)。 

k-nali.hatenablog.com

 

 

 

 

私の今できることは、

 

勝手に勘違いして(笑)、

 

どんな自分も自分で無条件で受け入れてもいいんだよ

って、ひたひたと感じること(≧w≦)。

 

どんな自分も、

どんな子も、

どんな夫も、

 

条件なんて付けなくてよい存在。

条件付けなくても、そのまんまで愛される存在。

 

きっと今までの人生もずっとずっと前から、

生まれたときからそうだったのに、

そうじゃないと、勝手に勘違いしてきた時期があっただけ(≧w≦)。

 

きっとずっと愛されていたのに、

これがないと愛されないと、

自分を愛せないと、

勘違いしていただけ(≧w≦)。

 

 

これに気づくと、もっともっと、

自由になれそうだなぁヽ(´▽`)/。

 

 

 

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冒頭に出てきた友人は、

私と割と真逆な思考を持っている感じで、

 

彼女の鋭い一言で、

私はかなりいろんな気づきや発見をもらうことがある。

 

きっと、彼女にしてみれば、

なんでもないフツーのことで、

思ったままのことを言っているだけなのかもしれないけれど、

 

あまりにも視点や、思考の過程や

組み立て方が私とは違いすぎて、

 

私にとっては、目から鱗の驚きの連続となることがよくある。

 

たぶんそれは、お互いさまなんだろうな。

 

自分が当たり前だと思って疑いもしなかった

思考過程が、

人にとっては全く違う見え方であったりする。

 

この文章に対しても、

きっと人それぞれ、様々な感じ方が

あるんだろうなぁ~。

 

 

だから人生って面白いし、

色んな人間がいるんだろうな。

「違う」から、

面白いし、発見があるし、学びがある(^-^)。

 

そして、それのどれもが意味があること。

意味がないというのも意味が無いという意味があること、なのかもな(≧w≦)。

 

どれもがそのまんまで、素晴らしいということ(^-^)。

 

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