人は、人の話を、自分の受け取りたいように、受け取るもんなんだね(^-^)。
こちらが言ったことと、相手が受け取ったものが微妙に違うとき(≧w≦)。
ビジネスの場とかでもなくって、
そんなに大したことでなければ、
別に、
そのままにしておいてもいいのかもな(*・ω・)ノ
こっちが発した言葉でも、
相手は、関心のない箇所や受け取る気のないところは、見事にスルーして、
受け取りたいところや関心のあるところに、注目し、受け取りたいように解釈して受け取る。
それは自分もそうだし、みんなそう。
だから、
無理に、相手の解釈の仕方を訂正してもらうように回ったり、
しなくても、いいのかもな٩( 'ω' )و 。
なんかそう思うと、気楽で居られる(^-^)。
人の話を「聴く」とき、
意識することがあるとしたら、
「相手は、何を分かってもらいたいのか」
ってことだけなのかもしれないね。
それが、外れてもいいから、
とにかく、
相手の話したい気持ち。
どこを分かってもらいたいのか、
そこに注目したらいいのかもな。
そしてそのとき、それ以外の情報・話の内容については、
それほど重要ではないのかもしれないな。
それこそ、勘違いしたまんまで、
お互いが受け取りたい内容を受け取りたいように受け取っていたって、
問題ないのかもしれんな(ᵔᗜᵔ*)。
以前にもそんな日記を書いた覚えがある(≧w≦)。
本田こーちゃんの、リンク先後半。
(前半は、主題が別のお話)。
オーストラリア旅行の酒場で、
言葉が分からないけれどもめっちゃ受け入れられたという話。
この話、面白くて分かりやすくて大好きだわ(笑)。
何回も引用したくなる。
話の内容って、二の次でいいのかもね。
だから、ましてや、
相手の話を遮って、
相手の話から自分の話に置き換えて、
自分が主人公の話にすり替えることもないし、
相手の話を遮って、
話の内容の間違えを指摘したり、
何かを教えようとしたりする必要もないのかもな(ᵔᗜᵔ*)。
まぁ、それはそれで、盛り上がることもあるから場合によっては、いいこともあるんだろうけどね٩( 'ω' )و 。
人と会話をしているとき、
第三者の話が出てくることはよくある。
第二者(相手)が、第三者の話をしているとき、
話の内容は、そこに居ない第三者の話なので、
つい、一緒になって第三者にツッコミを入れたり、評価をしたり、
第三者をどうしたら変えられるか(笑)、のような話に発展しがちになったりするけれど、
注目すべきは、そこに居ない第三者のことではなく、
その話している相手が、
「何を分かってもらいたいか」
という所にあるのかもな。
ましてや、第三者の肩を持ったり、
第三者の味方をしたり、
そこに居ないことをいいことに(笑)、
第三者を悪者に仕立てたりすることではなく、
目の前の相手が、
今どんな気持ちでいるか。
そっちの方が、大切なのかもな。
誰が正しいとか、真偽のほどとか、
それはもしかしたらどうでもよくって、
一番汲みたいところは、
目の前の相手が、何を分かってもらいたがっているか。
それだけなのかもなぁ(^-^)。