広島の弁護士事務所で働く母が、お家に帰って勝手に楽しむブログ

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「反映的な聴き方」が通用しないと思っていた理由を自分なりに解明してみた

前回の日記に関連して。 


私が長年、「反映的な聴き方」(=気持ちを聴く聴き方)の意味を、

理解できなかった、信じることができなかったのには、

理由がある。

 

「反映的な聴き方」が、全く通用しない!!(≧w≦)

と思われる人が身近に居ると思っていたから!!。

 

テキストで学んで、その通りにやってもやっても、

全然うまくいかない!!テキストに書いてあること、嘘やん!!( ̄▽ ̄)

みんなの言っている通りに、全然ならんじゃん!!( ̄▽ ̄)

何度やってもなんだかこじれて大変なことになる。

もう、これ、やってみるのや~めよ!

適用しない人もいるんだ!

と、ずっと思っていた(≧w≦)。

 

 

 

 

それが今、

そんなこと全く考えなくても

その相手ととてもうまくいっている。

うまくいきすぎて、「聴き方」がどうだとかこうだとか、

長い間、考えることを全く忘れていた。

 

数年たった今、ふと、あれ?あの頃、あんなにうまくいかなくて、

こじれていたのに、

なんで今、こんなにうまくいっているんじゃ?

なんじゃこれは!?(^0^)

と思ったので、

 

自分なりに、考えてみた。

 

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たとえば前回の例でいうと、

「私と仕事とどっちが大事?」みたいな質問の場合、

・質問にそのまま答えるとなると、

⇒「あなたに決まっているじゃん」という返答が出てくるし、

 

・「反映的な聴き方」をするとなると、

⇒「そう尋ねたくなるくらい、今自分を大切にしてもらえていないと感じて、悲しいんだね」とか、そんな感じの返答となる(と仮定する)。

 

 

 

そして、あの頃の私とその人の関係だとどうなったかというと、

 

 

 

 

 

 

 

どっちを答えても、きっと相手は怒ったままだった!!だろうということ。

 

 

 

例えば「あなたの方が大切に決まっているじゃん」と言うと、

・「その通りにできていないじゃないか!!なぜだ!!!」という風に返ってきただろうし、

・「大切にしてもらえないと感じて悲しいんだね」と答えると、

「誰もそんなことは聞いていない。質問に答えろ!!」

という風な答えが返ってきていただろう。

 

 

今考えると、

相手は、何かに不満を感じていて、

怒りたかった。

自分の不満を分かってもらいたかった。

んじゃないかな、って思う。

 

だから、出てくる手段は、何でもよくって

 

どうやって答えたとしても、同じような返答しか返ってこなかったのだと思う。

 

 

 

そして、ここが一番大きいのだけれども、

 

その返答を聴いて、

私は、

 

「そんなことないよ、あなたを一番大切に思っているということを、

あなたに分かってもらいたい

 

その気持ちが大きくて、

 

分かってもらいたい

分かってもらいたい

 

 

あなたを「分かりたい」という気持ちは

これっぽっちもなくて、

 

なんで分かってくれないんだろう

こんなに大切に思っているのに、

なんでそんなに誤解しているんだろう。

なんで伝わっていないんだろう。

 

分かってもらいたい

分かってもらいたい

 

そればっかりだった( ̄▽ ̄)と私は思う。

 

 

「分かりたい」ではなく、「分かってもらいたい」が勝ったとき、

それは押し付けになるよね(≧w≦)。

 

きっとお互いが、

「分かりたい」ではなく、「分かってもらいたい」が強かったんだろうな。

 

なんで分かってもらえないんだろう。

どうにかして分からせたい!!!

その一心だった。

 

ここが原因だな( ̄▽ ̄)と。

 

 

 

今なら分かる。

 

相手が、分かりたがっているか、分かりたくないと思っているか、

 

それは、本当は、どっちでもいい

 

相手が、「分かりたくない」と思っていたら、

どうやって分からせようとしても、

相手の中に入っていくことはできない。

相手が、分かるか分からないか、受け入れるか受け入れないかは、

 

相手が決めることだから、

こちらにはどうすることもできない。

相手は、相手の見たいように物事を見ている。

 

 

私にできることと言えば、

 

こちらが、今の状態の相手を受け入れるということ。

 

 

もしかしたら、今は、

分かりたくない、理解したくない、

愛されていると思いたくない、大切にされていると思いたくない

と思っているかもしれない相手を、

 

そのままの状態を、こちらが理解する、ということ。

 

 

つまり、

 

「怒ったまま」の状態の相手を、

そのまんま、怒ったままを、そうか、と受け入れること。

 

 

私のすることは、

 

相手を怒らせないようにすること、

相手の誤解を解くこと

 

ではなかったということ。

 

 

 

怒るのも自由。

受け取らないのも自由。

誤解したいのも、その人の自由なんだ。

 

その自由を、制限する権利は、

他人にはどこにもない。

 

 

「反映的な聴き方」をしたからと言って、

気持ちを聴いたからと言って、

自体が収拾するとは限らないし、

だからと言って、こちらが相手の怒りに巻き込まれる必要もないし、

相手を変える必要もない。

もし相手が、今は、「自分はないがしろにされていると感じたい」のであれば、

それを邪魔する権利は誰にもないんだと思う。

 

 何を受け取り、何を受け取らないかは、

 

その人の自由で、

その人が決めること。

 

それは、自分も他人も同じなんだと思う。

 

自分が、受け取りたいようにしか、受け取らないし、

受け取れない。

 

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紐解いてみると、こういう構造が、見えた。

 

何年もひっかかっていたこれ。

いつの間にかに全くなくなっていて、

もう全く考えもしなかったことだけれども、

 

もしかしたらこういう構造だったのかも、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にかに、上記の構造が全くなくなっていたのは、

 

なんやしらんけれど( ´艸`) 

 

いつの間にかに、お互いの普段の関係性が

良くなっていたからなのかなぁとも思う。

 

 

自分を自由にして、

姫にして( ´艸`)、

自分がシアワセになっていると、

 

「人に対する制限」も全く必要がないということに気づいて、

人に対して制限をかけることなく、自由にしてあげられるようになる。

 

 

気が付くと、

 

「怒る自由」

を相手に与えることを意識する間もなく、

 

怒られること自体が、一切なくなっていた。

 

「怒ってもいいよ」と思う間もなく、

「怒ってもいいよ」って思うような事柄自体が起きなくなっていた。

 

 

 

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 こうしてみると、

「反映的な聴き方」が通用するしない、という次元ではなく、

そもそも、目指すゴールが違っていたのかもしれないね。

・相手を怒らせないこと、

・相手に自分を分かってもらうこと、誤解を解くこと。

・相手に変わってもらうこと

が目標(ゴール)であれば、

「反映的な聴き方」を使っても、いつまでたってもそのゴールにたどり着かないかもしれないな。

 

 

 

・自分が、「受け取る方法」を選んで生きているのと同じように、

相手も今、自分が物事を「受け取る方法」を選んでいるということ。

 

それを「理解」するということ。

人の「受け取り方」を、そのまま尊重できるようになるということ

 

それを目標(ゴール)にしたとき、

「反映的な聴き方」は、そのゴールに近づくのかもしれないな(^-^)。

 

 

 

そもそも、ゴールが違ったな( ´艸`)。

 

 

で、それを頭でごにゃごにゃ意識することなく、

いつのまにかに、私たちは、よその場面で実現していたのかもしれないなヽ(´▽`)/。

そういえば、今は、相手が選んだ選択を、

まるごとそのまま受け止めるのが普通になっているような気がする。

当たり前になりすぎて、気が付かなかったけれども。

 

 

相手のご機嫌も、

相手の選択も、

相手の意志も、

 

相手自身に丸投げしているのだヽ(´▽`)/。

相手のものだから。

私がどうにかしようとしない。

 

ただそれだけ(≧w≦)。

 

 

 

 

 

 

心理学を長年学んでいると、

 

こんな、

 

なんやしらんけれどいつの間にかに

 

という現象が、頻繁に起こってくる。

 

これだから、心理学は面白すぎてやめられない(≧w≦)。

 

 

 

 

 

長くなったけれど、

整理できて、書けて気持ちがよかったぁ~ヽ(´▽`)/。

読んでくれて、ありがとう!!(^-^)

 

 

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