教師とかリーダーとかの役割は、
もしかしたら、
本当は、
「自分が楽しむこと」ヽ(´▽`)/
なのかもしれないなぁ。と、ふと思った。
自分が楽しんで、何かを発していたら、
周りが、生徒が、受講生が、
各々、自分の受け取りたいモノ、盗みたいモノを、
勝手に取っていく。盗んでいくo(`ω´ )o。
何をどのように盗んでいくかは、
盗む人が決める。
与える側は、生徒が何をどのように学んでいくか、盗んでいくか、
ある程度調整はできても、
コントロールすることはできなくて、
それは全て、受け取り手に任されている。
受け手が受け取りたいと思っていないモノを、
受け取らせようとしても、
受け取らないものは受け取らないし、
与えようと思ってもいないことや、
与えようとしたこと以上のモノを、
受取り手がどんどん受け取っていくこともある。
教師やリーダーのすることは、
ただ、自分が楽しんで、自分のパフォーマンスを高めて、
さぁ、持って行きたいモノを持って行ってちょうだい!ヽ(´▽`)/ と、提供することだけなのかもなぁ、と思った。
児童館の先生も、
学校の先生も、
科学教室の先生も、
昆虫館の先生も、
バレエの先生も、
心理学のリーダーも、
私の接する先生やリーダーは、誰もが皆、
本当に楽しそう。
イキイキとされていて、
その「分野」や、それをすることが、
本当に好きなんだなぁというのが伝わってくる人ばかり。
そして、生徒側のその受け取り方にも、
これでなければならない!という絶対的な正解は無くて、
受取り手が、今、自分の段階にあった学びを、
今受け取れる段階の学びを、
学びたいように学んでいるのだということに気がついた。
科学教室で、
先生が、「ここまでみなさん理解できましたよ~!素晴らしいですね!!」
ととても満足そうなしていらっしゃる様子を見て、
家に帰った後、子に聴いてみると、
なんだかよく分からないけれど、
子は、私が先生から受け取った内容とはまた違うような形の
理解の仕方をしているように見受けられた(≧w≦)。
先生の話した内容は、子に伝わっとるんかいな?
先生の自己満足で、子には伝わっていないのではないか??
と一瞬思った。
でも、よく考えてみると、
いつも科学教室の先生も、
「正解は一つではありません。どれもが正解です。自由に発想してください」と言っているように、
科学の世界でも、唯一不変の絶対的な正解というものはなく、
子が受け取りたいように受け取って、正解なのかも、と思った。
だから、この教室で、
子が何を学び、何を得ているのか、
私には分からないけれども、
子が興味を持って、行きたいと言っている限り、
大いに、ここに通ってみようと思った。
私が、心理学を学ぶのが楽しくて楽しくて、
学んでも学んでもまだ学びたくなるのと同じように、
子も子なりに、
学びたいものがあるのかもしれない。
それは、私の思う形と同じとは限らないけれど、
それでいいのかもしれない。
先生の伝えようとしている内容は、
先生の伝えようとしている内容で、
それで先生は満足され、
子は子の受け取りたいように受け取り、
それで子は満足し(^-^)。
というか、それこそが、学びなのかもしれないな、と思った。
昔のお受験塾のように、
答えがかっちり決まっていて、
それを習得するのが目的!!答えは一つで暗記に近い。
マークシート方式に最適!という学び方もあるけれど、
答えの無い世界を、自由に、好きなように学ぶ世界。
自由に、好きなように泳ぐ世界。
そういう世界にどっぷり浸かるのもいいかもしれない、と思った。
それこそが、「学び」なのかもしれないなと思った。
小学校の学びと、
大学の学びって、
そんな感じだと、私もずっと前から思っていた。
中学高校は、「正解」があり、
どちらかというと「正解を覚える」学び方が中心のような
感覚もあったけれど、
小学校と大学は、
自分の興味のあること、
好きなことを好きなように拡げて学ぶ場だと思っていた。
これこそが、楽しい「学び」だと思っていた。
センター試験も無くなることが決定した今、
時代の認識している「学び」も、だんだんそういった方向に、
戻りつつあるのかもしれないなとも思う。
個々が楽しみながら学ぶ時代。
個々が、好きなことを好きなように深めていく時代。
そのためには、
リーダーも教師も、
生徒も、
誰もが、主体的に、自分の学びを楽しんでいるということ。
というか、先生たちは、誰に何を言われなくても、
もうすでに楽しんでいらっしゃる方ばかりなんだろうなぁ(^-^)。
だから、それを職にしているし、
長年続けている。
楽しくて、続けざるを得ない(≧w≦)。
そしてまた、人それぞれ、好みの分野は違うだろう。
これだけ心理学が大好きな私で、
いつどこにいても、
ココロのことがポッと頭に浮かんでは
文章にに書き綴りたくなる私だけれども(*'▽')、
科学教室で、子と一緒に話を聴いたとき、
大気圧がどうだとか、コップに入れた水がどうだとか、
「なぜそうなるか?」とかそんな話は、
眠くなってしまったヽ(´▽`)/笑。
確かに面白そうな内容ではあるのだが、
あんまり「なぜ?」とか思わないし、
そうなる理由を知りたいとか
これっぽっちも思わない自分がいることに、
ちょっと笑えた(≧w≦)。
「へぇ~!!以上!マル(終わり)!ヽ(´▽`)/!」
って感じ(≧w≦)。
あ、これ、私の中ではそうなんだな、って思った。
でも、ココロのことは、常に頭の中巡っていて、
考えるのが楽しくて楽しくてしょうがない。
きっと物理学やっている人や科学やっている人は、
なぜこうなるんだろう、って、
四六時中考えているんだろうなって思った。
先生もそんなことをおっしゃっていた。
それは、私がココロのことを、放っておいても勝手に四六時中考えてしまうのと似たようなものなのかな(≧w≦)と思った。
逆に、科学のことを四六時中考えている人に、
心理学面白いじゃろ!!って言って見せても、
「へぇ~!!以上!マル(終わり)!ヽ(´▽`)/!」
ってなるのかもしれんな(≧w≦)。
確かに、面白いかもしれんけれど、
四六時中考えまくってやめられない、ってことは
ないだろうな、って感じかもな(≧w≦)。
これは、きっと、どの分野でも同じなのだろう。
例えば、ゲームの世界であったとしても。
世の中にある、あらゆるものの中から、
自分が、
どうしてもやっちゃう!(≧w≦)。
気になって、考えずにはいられない!(≧w≦)。
そうなる対象について、
人は勝手に吸い寄せられていって、
自ら勝手に学び始めるのかもしれないなぁ。
そして、バレエの先生なんぞも、学びは個人のものであることのとても分かりやすい例かもしれないな。
生徒生徒が各人、自分のレベルに合わせて、
習得できる段階のことを習得する以外に
方法はないもんなぁ。
できないレベルのものをまだできない人に、いくら提供しても、できない人は受け取りようがない。
一斉レッスンの中で、各人が、
自分の盗みたいレベルのことを、
自分で盗んで身に着けていく。
その連続だもんなぁ。
個人が自分の技量で自分の体の中に
取り入れる以外に方法はないもんなぁ。
いくら口で説明して見せても、
取り入れるのは自分でしかない。
体で自分で染みつかせるしかないもんなぁ。
学びは、各人の自由。
だから、それぞれがそれぞれ、
自分の学びたいことを、学びたいように、
自分の段階に合わせて楽しんだらいいんだと思った(^-^)。
そして、それをより楽しんでいる人のところに、
人は吸い寄せられて集まってくる。
だから、楽しそうな先生やリーダーは、
楽しみたいように楽しんでいたら、
人が勝手に集まってくるし、
何かを無理やり教えようとしなくても、
人が勝手に学んでいくんだろうなぁ(^-^)。