やるのかやらないのか自分で決断するのって、
自分がやりたいのか、やりたくないのか、
自分の気持ちを知るのって、
めっちゃ勇気が要るな~!!
自分の気持ちって、分からないもんやな!!(爆)。
昨日、子が、音読の宿題をやるのかやらないのか、
「自分で決められない!!」って言っていて、
「母ちゃん決めて!!」って言うから(笑)、
「そんなのどっちでもええがな。
自分で決め^^!」言うたが、どうしても自分で決められないらしく(笑)、
「お願いだから母ちゃん決めて!!」とぐじぐじ言っているから(笑)、
「そんなら、やらんでええがな」言うてやったけど(爆)。
(後は知らんヽ(´▽`)/(笑))
自分で決めるのって、
めっちゃ難しいことやんな!!
責任自分で取るってコトやもんな!
子どもの頃の私、
宿題をやるかやらないかの選択肢って、
そもそも頭の中に最初っから全く無くて、
宿題=やるもの
という公式しかなかったから、やらないでおこうか?
なんて迷うことなんて一切無かったけれど、
選択肢があると思ったら、迷うのね。
何の世界でも。
ちなみに、うちの夫は真逆で、
宿題=やらないもの
だったらしく、
やるという選択肢が無いから、
これも迷うこと無くやらなかっただけらしいんだけれども^^。
やった場合とやらなかった場合、
どちらも得るもの失うものがある。
私にとっては、
「やらない」を選択し続けるのって、
ものすごい強い意志と、
ゆるぎない自信が必要。
「やらない」を貫くくらいなら、
少々我慢してでもやってしまう方がずっと楽。
私にとってはね。
そこには、やりたい、やりたくない、
の意志なんて、最初から存在しないんだよね。
よく言われている、
「勇気出すぐらいなら努力したり頑張ったりする方が楽」っていうやつ。
ずっとそれで来た。
だから、
いざ、
やりたいのかやりたくないのか、
よく分からないものが目の前に現れると、
選択にすごく困る。
どっちを選んでも、どうせ、いいようにしからならんのだから、
どっちを選んでもええんだけどね。
どっちを選んでも、何かの学びがあるだけで。
でも、決めるまでは、モンモンとして、
ぎゃ~щ(゜▽゜щ)ってなる(笑)。
もう絶対にどうしても嫌いで、
やりたくないのが明らかなドッチボールとかだったら(笑)、←突然出てきたドッチボール(笑)
もう、秒殺で、
「やらん!」って言えるし、
やるのが好きで、放っておいても勝手にやりたくなる、
書きたくなるこのブログみたいなことだったら、
誰に何も言われんでも勝手にやっているし、
「桃要る?」とか言われたら秒殺で「要る!ヽ(´▽`)/」とか言うけど(笑)、←突然出てきた桃(笑)。
自分が好きかどうかよくわからんけれど、
できることや、やれること。
でもなんだか面倒くさいような、そうでもないような、
微妙なものって、
選択するかどうか、迷うのよね。
少々なら我慢してでもやるか、とかなって、
我慢しながらやっていたり。
やりながら、
それが好きなのか、嫌いなのか、
やりたくないのか、やりたいのか、
ようわからん。
いっそ、迷わなくてもいい、何か
「しょうがないよな」っていうような決断の理由が
どこからか降りてこんかな~と思って、
彷徨うわ(≧w≦)。
昔は、その根拠を、たいてい「お金」で
図っていたなぁ。
お金になるかならないか、
損か得か。
そういう基準を取っ払ってみたら、
ほんま、どういう基準で何を選択すればいいか、
分からんくなるなぁ。
基準が、「やりたいかやりたくないか」
「楽しいか楽しくないか」だけになると、
ほんま、自分の感覚を問われる。
まぁ、迷いたいだけ迷うのも、ええんやろな。
いつまでに決めるか、
いつまで迷うか、すらも、
自分で決めることができるんだもの。
そして、どっちを選んでも、
選んだ先の学びがあるだけのこと。
だから、人から見れば、
どっちを選んでも、ええやん。
知らんがな(笑)。
って、それだけのこと(≧w≦)。
なのに、本人は、決められないで、
一人悶絶する(笑)。
本当は、どっちかに背中を押してもらいたい
っていうのはあるのかもしれんなぁ。
そして、その背中を押す根拠を
探しに彷徨っとる。
そのことに、自分で気づいたら、
もう少し楽に決められるのかもなぁ^^。