広島の弁護士事務所で働く母が、お家に帰って勝手に楽しむブログ

楽しいことの寄せ集め。自己満足プライベート日記

要望を伝えず「察しろ」の世界

私も以前所属していた世界。

「察しろ」の世界。


●決して自分の要望を、相手に直接自分の口からは言わない。
言わずに、察してくれるのを待つ。

もしくは、

●その人の居ないところでその人への不満を言う。
それを聴いた第三者が間に入って、よきに取りはからってくれるのを待つ。

もしくは、

●誰もよきにはからってくれないから、
自分は病気になって、こんなに自分は苦しんでいるんだ!と周りに間接的に伝える。泣いてわめいて苦しんで、誰かがどうにかしてくれるまで待つ。


これを、たぶん世代間連鎖で、私も以前、
これがお手本なんだと思いこんで、やっていた時期があった気がする。



なぜ、相手に直接言わないのか。
それは、自分が言われる側に立ったとき、
嫌な気持ちになるから。

なぜ嫌な気持ちになるのかというと、
怒られているように感じるから。
責められているように感じるから。



【価値観を人に伝えること=価値観が違う人を責めるということ】


だったのかもしれない。




自分の周り全てが単一価値観であるのならば、
それでうまくいくのかもしれない。
いちいち、自分の価値観を伝える必要などないのかもしれない。


そして、そんな人は、

人に「察してもらう」ことが当然だから、

人のことも「察しよう」とする。

人が口に出す前に、察するように努める。


**




私は、

世の中みんな、


頭が良くて学歴が高い方が良くて、
学歴が高い=お金を稼げるのが良くて、
お金を消費することはよくないことで、
節約するのは美徳なことで、
長生きが出来ることが良くて、
例えばギャンブルや不倫は悪いことで、
美しいのはよくて、
女の人は胸が大きいのがよくて(笑←このへんもうどうでもええ)、


というようなことは、

全国みんな共通の価値観なのだと
信じて疑っていなかった。



それは当たり前のことだから、
口に出して言うまでもなく、
皆が共通して目指していることだし、

他のことについても、

自分だけの価値観や要望を、
人にわざわざ「伝える」と言うことは、

「あなた、分かっていない!」って責めることのように
感じていたのかもしれない。


だから、自分の要望を人に言えないし、
人に言われた日には、これおおごとだと萎縮する。
必要以上に堅くなる。反省する。



うちの母は、そうやって生きてきて、
自分の言葉を代弁してくれる人(=うちの父)に守られて、
年齢を重ねるにつれて、
ますます外部を排除して、

きっとこのまま二人だけで生きていくような。
二人の間だけの濃密な世界で仲良くやっている(ように私には見えた)。




こういう生き方もある。

そういう、シアワセの形もあるんだ。


人の数だけ、シアワセの形がある。


父に愛されて、母は、きっとシアワセなんだと思う。
これが、二人の愛の形。
小さい頃は、気がつかなかったけれど、
こうやって父は、ずっと、母を守ってきていたんだ。
それで私は振り回されたと思っていたけれど(笑)、
(今となってはどれもが貴重な学びの経験^^)
男はこうして愛する女を守る生き物なんだろうな。



長生きするのが正しいわけじゃない。
お金持ちになるのが正しいわけじゃない。
外で活躍するのが正しいわけじゃない。


もしかしたら、早く光の世界に帰りたい人もいるかもしれない。


ドッジボールが出来ることが、かっこいいことだと思っているかもしれないし、
勉強が出来ることを別にかっこいいことだと思っていないかもしれない。


何をしに、この世の中に生まれてきたか、
何が快なのか、
人によって違うんだ。



ひきこもりが悪いのではない。
出てこないのは、それが心地よいから。
それを選んでいるから。


共同体の単位が大きい方がいいわけでもない。
二人だけで完結する世界もある。
多くの人に賛同される方法が良くて、
少数派が劣っているというわけでもない。

どんな形のシアワセもある。








そして、私が心理学に出会ったのも、
「自分の価値観を、気持ちを」伝える必要がある、と感じたのも、

これも巡り合わせ。


外の世界に、どんどん、出ていくようになったのも、
巡り合わせ。


両親とはまた違った愛の形を体現しているのも、
これも、巡り合わせ。


ただ、それだけのことなんだと、思う。




どう生きるのがいい悪いとかない。








常に常に、何重にも何重にも、
きっと、
一生、

私は、こうして学んでは気づいては、
感動して、を、

繰り返すのだろうな。


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相手に自分の「要望」を口に出して言った後、
相手から返ってきた言葉に、「相手は、責められたと感じたのか?」と感じて
この文章が生まれた。

たぶん「責められた」と感じたと思った相手に「責められた」と感じた私(ややこしい・笑)。
要望を人に伝えるのって、難しいことだったんだと思い出した。

あぁ、ここで、STEPのテクニックというものがあるんだな、と思った。
こういうために、「伝え方」というものがある。

んでその後すぐに、「責められていたわけではない」と気づいて抜けたけれども、
ここがポイントだな、とすぐに思った。


この状態から、抜けずにとどまるかどうか。
その違いだけ。

「責められる」のがこわいから引きこもる。
人との接触を断つ。
そういう生き方もある。そういう選択もある。それもいい。



「本当は責められていない」ということに気づいて抜け出して、
どんどん人に接触していく。
そういう生き方もある。それもいい。

どうしてそうするかと言えば、
そうしたいから。その方向に進みたいから。

人との接触を断ちたいから、人との接触を断つような解釈を持ち続けようとする。
人との接触を断ちたくないから、人との接触を断たないような解釈を持とうとする。

それだけのこと。




価値観を伝えるのが怖いから、
価値観を伝えるということを、しない、という選択肢もある。
そしたら、それなりの生き方もある。



どれもが、選んでいるし、結局、成り立っている。




変わっても変わらなくてもいいし、
変わりたくなったら、変わりたいと思ったときに変わり始めればいい。


全て、自分が決めること。

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