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自己満足で勝手に楽しむ日記

楽しいことの寄せ集め。

共鳴して発生するエネルギーと、反発して発生するエネルギー "energy of resonance"and "energy of repulsion"

人と人とが関わったとき、

   When we concern each other,

 

相手と意見が同じで、同調することで、

お互いが高まりあう「共鳴のエネルギー」(A)というのがあるのと同時に、

           there is a "energy of resonance" which is the same opinion.

           It will be more better each other.

   At the same time,

 

相手と意見が真反対で、反発することで、

お互いが高まりあう「反発のエネルギー」(B)というものがあって、

           There is a "energy of repulsion” which is the difference opinion.

           It will be more better each other.

 

それは両者どちらが善悪というわけはなく、

同じように、自分を高めることができるものだということを、

教えてもらった。

          It is not which is good, which is bad.

          The both thinking make us more better.

          That was the thing I taught from my friends.

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私には、「反発のエネルギー」(B)というのものは、

あまり理解できなかった。

人と意見が違うとなんだか落ち着かないし、ムズムズするし、

反対意見を言いたくなるし、

反対意見を言われると、自分を否定されたような気分になることもあるし、

 

とにかく、そこは、居心地が悪くて、

居れば居るほど、自分のエネルギーを吸い取られてしまう恐れがある所だから、

 

なるべく、そういう所には、近づかない方がいい、と思っていた。

 

とはいえ、私自身、自分の人生、

おそらく、思春期以降は、

母親に反発するエネルギーを原動力に生きてきたように思う部分もあるので(笑)、

 

そういうエネルギーというものが世の中に存在することや、

その威力の強さには、なんとなく実感もある(笑)。

 

 

ただ、それを、くやしさや苛立ちではなく、

プラスのイメージのエネルギーとして認識することができるとは、

全く思っていなかった。

 

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今回、人に教えてもらったのは、

 

世の中全て、「愛・発」であるという前提。

 

 

意見が反対であろうと、意見の内容がどうであろうと、

自分が相手から「愛」だけを受け取ると決めていたら、

 

相手の意見の中身は、それほど重要でなくなってくるのかも。

 

 

そして、

 

 

あれもこれも、完璧を要求しないということ。

 

「愛」だけを受け取っていたら、それに満足して、

それ以上、たくさんのものは、求めないということ。

 

普段、マルチタスクでいっぺんに、あれもこれもやろうとして、

一度に10ぐらいの利益を得ようと欲張っていたら、

 

一つの行動から、あれもこれも欲張って、

よいものばかり受け取りたい!!ってなるけれど、

 

もう、これがあるから充分。

と一つのことに満足できる考えを持っていたら、

 

もう、それ以上を、多くを望まなくても、

 

一番大切なもの以外は、切り捨てても、

 

いいんだ。って思えるのかも。

 

 

そういうことなのかな、と思った。

 

 

そんなとき、意見の内容は違っても、

「愛」だけを受け取って、自分も満たすことができるのかな。

 

 

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そして、一つ思ったのは、

「分からせようとしない」

ということ。

 

相手から、愛だけを受け取っているとき、

 

違う意見を持った相手を「分からせ」て、

自分と同じ意見に同調させようとする必要は、

無いのかもしれない、ということ。

 

ここが崩れると、

お互い、苦しくなるけれど、

 

違いを、どこまでも違ってよいのだと、

そのままにしておける。

その勇気。

 

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くしくも、昨日、子どもの小学校の参観日が、

道徳参観の日で、

子どもたちが簡単なディベートみたいなことをする様子を見ることができた。

〇の多数意見と×の少数意見と、最初は二つの意見が分かれていたが、

最後には結局、

少数派の人は、鞍替えをして、×の意見の人がいなくなり、

クラス全員が〇の意見になったと言う。

というより、そもそもろくにディベートすることなく、

少数派の人は、自分たちが少数派だと気づいた時点で、

やっぱり、多数派の方に鞍替えしよう、と、すぐに鞍替えしていた(笑)。

 

典型的な日本の姿。自分の意見をどこまでも押し通したりはしないんだよね。

 

まぁそれはそれで、いいのかもしれないけれど、

 

意見が違っても、

両方が高め合うことができる、というという姿も、

ちょっと見てみたかったな( *´艸`)。

 

 

 

意見が違っても、考え方が違っても、

高め合える。

そういう前提で、

そういうものだと知っていたら、

 

世の中、もっともっと生きやすくなるかもしれないなと思った。

 

 

自分には無かった感覚を、

人を通して知る。

 

どんな触れ合いにも、意味があるんだなぁって思った(^-^)。

 

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