今日のメルマガもすごかった。
佐伯和也さん。
「遊びの解放」は、子どものためにやるんじゃない。子どもから奪っていた主導権を子どもに返すだけ
https://kaihou.biz/BackNumber/view/MdHayfBI/AnzAu0VJ/O9uL2Dgi
結局、本人(親)の中の恐怖。
「愛と恐れ」ってことなんだろうな。
「恐れ」を一つ一つ、大丈夫だよ。大丈夫だよ。って手放していく作業。
それを今、自分は、やっている気がする。
「良い母親でいなければならない」=「普通にしていると価値が無い」
って思っていたりね。
そんなところに恐怖があったりする。
つまり、恐怖がある、ってことは、子どもを監視したり、上の立場になったりするのをやめちゃうと、自分自身を肯定できなくなっちゃう。
自分には価値が無い、って思っているから。
『遊びの解放』を通して、親ががんばらなくても、子どもは素晴らしい、って気付いてほしいのね。
自分とパートナーの二人から生まれた存在は、何もしなくても素晴らしい存在だった。
じゃあ、その元をたどれば自分たちなわけ。
自分たちから生まれた存在が素晴らしいんだから、自分たちも素晴らしいに決まってる。
相手と「横の関係」になるのが怖いのは、
自分の中に「無価値観」、自分はこのままではダメだ、劣っているっていう
「恐怖」があるからなのかもな。
相手を信じて「大丈夫」って思えたら、その大丈夫だと思っている自分自身こそが大丈夫だったって、気づくってわけだね。
「良い大学に入って、良い会社に入ることが幸せ」
っていう幸せへの道が一択だったのに、
「家族で仲良く楽しく過ごしていることが幸せ」
「友達と一緒に旅行に行けることが幸せ」
「子どもが絵画にハマって楽しそうにしているのを見るのが幸せ」
「子どもがゲームにハマりすぎて、オンライン上でも友達ができていくのを見るのが幸せ」
みたいな、色んな幸せがあることに気付ける。
視点を変えてみると、実は、僕らの身の回りには、幸せになる要素しかなかったりするの。
もしくは、「幸せになるには、こうしたらいいよ」って教えてくれるエピソードばかりあることに気付く。
子どもの遊びを制限して、親がガッチガチに力んでいる場合は、幸せになる道は、1つしかない、って思ってしまう。
でも、そうじゃない。
僕らの今生きている場所は、幸せになる要素しかなかったり、幸せになるために必要な学びを得るキッカケしかない。
(中略)
『遊びの解放』は、子どもだけでなく、親も不幸になることをやめる関わり方です。
あぁ、結局、ほとんど貼り付けたわ(≧w≦)。