これ、ドラえもんの有名な場面の一つ。
亡くなったおばあちゃんの居る過去へ行く話。
幼少時ののび太はすぐそこに居るのに、
未来から来た小学5年生ののび太が我慢できずに自分の姿を見せて、自分が未来ののび太だと言ったとき。
おばあちゃんの台詞。
「誰が、のびちゃんの言うこと、疑うものですか」
これ、すんごい印象に強くて、ずっとずっと心に残っている。
きっとね、このおばあちゃん、
未来の技術が進歩したらそういうことも有り得るのかな・・、とか、
未来ののび太だなんて、この人ほんまなのか?とか、
そういうこと一切関係なく、
ただただ、のびちゃんを信じている。
その世界観に、圧倒する。
のび太だから、信じる。
のび太を、信じる。
私の身の回りにも、色んなことを信じている人、
色んな価値観、色んな好みがあるけれど、
その内容のいかんを問わず、
信じる
ということ。
その言っている言葉の内容、
その内容の真偽はきっと、どうでもいいんだろう。
その人が言っている、
その人のことを信じる、
ということ。
真偽は関係ない、ということ。
昨日書いた、アミの本でもあったけれど、
惑星の数だけ、いや、人の数だけ、
価値観や正義や、信じるものの形がある。
ある国にとっては当然のことでも、
ある国によっては、全く考えられないことだったりする。
惑星によって、国によって、地域によって、人によって、
真偽が真逆なこともある。
でも、それは、たいしたことではないのかもしれない。
どちらが正しいか、どちらが真実なのか、
比べる必要も無いし、検証して正しさを証明して相手に見せる必要もない。
内容は関係無く、
ただ、その人のことを信じるということ。
この圧倒的な愛の形。