一つ前の日記を書いた後にふと浮かんできたこと。
(ブログは書くと、連鎖が起こるんだよね)
私が病院漬けで薬漬けだった頃。
生きる目的は、
「病気を治すこと」だったかもしれない(笑)。
何年か前まで、私は、
・病気を治すこと
・できないことをできるようにすること
・悪い性格やクセを治すこと
・お金をできるだけ節約してできるだけ貯めること
総じて、何かを改善すること
を常に目標にしていたような気がする。
これって、エンドレス。
それが、いつからか、
そのまんまでもういいや!ヽ(´▽`)/
病気に完治って無い。
性格に善悪は無い。
何かを治そうとする行為って、
もう、治すこと自体が目的になっていて、
その後って、永遠に来ない!!
完全に治ってから人生楽しもうと思っていたら、
永遠に、その時は来ない。
治さなくったって、もうその状態で、いいいじゃん。
もう実は、今の状態で、完璧なんだよ。
って思うようになって、
病院通いを止めた。薬を全部捨てた。
行くところを、「病院」から、「楽しむ所」へ変えた。
その頃から、自分は変わってきたような気がする。
喘息もアトピーも、持病として持ってはいるから、
通い始めると、これからも一生、病院に通うこともできるのだけれども、
敢えて、
それをやめた。
少々、調子が悪い日があっても、
あんまり気にしない。
自分を「病人」にしない。
そしたら、気づいた。
別に、どっちでも、人生なのだと。
常に病院に通い続けるのも人生。
行き先を、趣味の教室に変えるのも人生。
病院通いも、
趣味通いも。
どちらが「優」とかではないのかもしれない、と。
お年寄りが病院で病気仲間と会ってコミュニケーション取るのも、
趣味の集まりで仲間と会ってコミュニケーション取るのも、
実は大差ないのかも・・・・と。
どっちでも選べるよ。
私はもう、病院には通っていないだけ。
通わないだけ。
病気持ったまんまでも、気にせず
他のところにエネルギーを持っていっただけ。
たぶん、今も昔も、私の体自体は変わっていないのだと思う。
だけど今は、
病院に行く暇を作らないようにしている。
病院に行くと、また次、病院に通う理由を、
自分で無意識のうちに作ってしまうんだ。
本当、無意識のうちに。
「病人である自分」に、恒常性が働いて、
「病人である自分」の姿が普通になってくるんだ。
今の私は、病気知らずの
「元気に飛び回る自分」が普通。
もう、自分を、そういう存在にしてしまう。
そしたら、本当に病気にならなくなった。
これ、きっと病気だけの話じゃない。
愛される自分
お金持ちな自分
シアワセな自分
そういうのが「当たり前」の前提として、
もうそうやって過ごしてしまうこと。
準備ができていなくても、もうやっちゃう!ってこと。
もう、何も改善すべきことはない。
何も変えなくてもいい。
今の状態の自分で、充分なんだから。
何も改善しようとしなくていい。
人生の目的をシフトしただけ。
人生は、「治すため」にあるんじゃない。
何も、「治さなくていい」って。
人も自分も病気も性格も、きっと同じなんだろうね。