子が歩き始めたとき。
事前に、歩く練習をするための手すりや、何かつかまるものを、
用意しなければならないのかと思っていたら、
そこらへんにあるものを、適当にみつくろって、
勝手に歩き始めた。
それは、そこらへんの棚だったり、おむつの袋だったり。
でも、何も用意しなくても、うまい具合にちょうどよい高さのところを探して伝って、
ひとりでに歩けるようになった。
この時思った。
子どもは、自分で、今ある環境の中から、
生きていく方法を、自分で見つけ出すことが出来るのだと。
私たちが子供の頃、「歩行器」という名の、
子どもを歩かせるための機械があったけれど、
そんなものも要らない。
どんな環境でも、どんな家に住んでいても、
歩く時が来たら、赤ちゃんは歩くんだな!と。
家が散らかっているから、歩かない、とか、
部屋がこんなだから、赤ちゃん歩けるようにならなかった、
とかって、無いんだ!と。
どんな環境を用意していても、
その環境で、子どもは生きる。
自分もそうだったように。
子は、自分の育つ環境を選べないかもしれない。
この親を選んで来た覚えが無いかもしれない(笑)。
でも、どんな環境でも、
何を生かし、どれを使って、どれを使わないか、
選んで生きていくことが出来る。
そりゃ、最初は、失敗もたくさんするかもしれない。
うまいこと選ぶのに、時間がかかるかもしれない。
けれども、
生きる能力を持って生まれてきているんだ。
そう思うと、
親が、子に、与えるものが不十分でも、
大丈夫なのかもしれないな、と思う。
親は躍起になって、
子に先先与えなくても、
大丈夫なのかな、って思う。
与えられた状況で、
この状況の中で、
自分を生かすためにはどうしたらいいか、
自分で考えて見つけ出す能力。
そういうものを、磨いて行って欲しいと思う。