最近の心屋さんのラジオ、ポッドキャストをまとめ聴きしたので、
感じたことを記録。
I have listened the radio by Kokoroya from PodCast.
I will write what I think.
ダイエットの話。
もうこれは、「痩せたかったら喰うな~!」って前から心屋さん言っていて、
それでも「食べてしまうんです、どうしたらいいですか?」という質問に対する心屋さんの問い。
It is about "Diet".
Kokoroya have been said that you don't eat a lot if you don't want to be fat.
But the questioner said that ," I knouw that ,but I eat a lot. What shoud I do?".
これは、ダイエットに限らず、
お金にしても、愛情にしても、心配ごとにしても、何に対しても同じだと私も思ったんだけど、
結局、
デフォルトの状態、自分の初期値の状態。当たり前の状態を、
どこに持って行くか?
なんだと思った。
・お腹に何かが常に入っているお腹いっぱいの状態を、いつもの当たり前の状態ということにするのか、
・お腹が空いた軽い状態を、当たり前の状態だということにするのか。
少々お腹が空いた状態でも、人は死なないんだよ。ということを、
体験で知って、
これを、当たり前の状態にする、ということ。
常にお腹がいっぱいでないといけない!っていう状態が当たり前で、
常に何かを食べていたら、
そりゃ体重は増えるわな。
お腹が軽い状態が、普通で当たり前の状態にする。
それが、当たり前の状態だと、自分を持って行く。
その、最初の、「自分を持って行く」「自分を位置する」のが、
ちょっとえいやっと!工夫するところなんだけれども、
そこさえ乗り越えたら、もう行ける!っこと。
栄養は、もう、充分にあるんだから、
常にお腹パンパンに満たさなくても、大丈夫だよ。
ということを、自分の中では、当たり前のことと、知る。ということ。
どんな自分をデフォルトの自分、だということにするのか?
お金についても、生き方についても、愛情についても、何についても、
これは同じなんだね。
もうすでに、あるし、あるのが当たり前。
そういう状態に自分を位置していると、
特に求めて切望しなくても、
当たり前に、それらが叶っている。だってそれは、
願うまでもなく当たり前のことだから、ってなる、てことなんだろうね。
私も時々、
ふいに不安になることがある。
子育ての将来とか。
普段、大丈夫!!って強く気持ちを持っていても、
何かの拍子に、人の言葉を受け取って、すぐに影響を受けて(笑)、簡単に、
不安になったりすることがある。
私の人生、日々、不安潰しをするのが人生なんじゃないかと思うくらい、
不安潰しばっかりしているようなときもある(笑)。
これはね、きっと、デフォルト値に、「不安を持ってきて潰すのが私」
っていうのが入っているんだと思う。
こうなると、
潰す不安がなくなると、また、どこかから、不安の種を探してきてしまう。
エンドレスなんだ。
それが初期値で、それが当たり前なんだから、もうそうなってしまうんだ(笑)。
これが、
「大丈夫に決まっとるじゃん!当たり前!」ってなると、
いちいち不安を持ってこなくなるよね。
不安を持ってこなくなると、将来の準備をしなくなって、それは大変なことになるんじゃないか?と言ったら、そうではないんよね。きっと。
今まで、「不安・恐れ」発信の行動だったのが、
安心からの「楽しみ・喜び・ワクワク」発信の行動に変わってくるんよね。
例えば、「将来、人に馬鹿にされるのが怖いから勉強する」、という「恐れ発信」だったのが、
「将来、自分のやりたいことをやりたいから勉強する」、とか、
「楽しいこれを、将来もやりたいから、勉強する」、とかになったりね。
「恐れ」発でも、「愛」発でも、どっちでも結局最後は同じなのかもしれんけどね。
どちらの過程を、自分は選びたいか、だけの違いだけで
それを、「こっちだったらうまくいくけれど、こっちだったら失敗するかもしれない」と思うから、怖くなるし、不安になるのかもしれんね。
失敗も、うまくいかない、も、そもそもない。
そしてね、お母さんは、家庭の太陽だから、
お母さんは、あんまり不安で居たくないなぁって、私は思った。
私が不安になる→夫にぶつける(笑)→夫が子に説教をする→子は自信がなくなる→
私が不安になる(に戻る)
って不安の連鎖がどんどん拡大するばかり。
じゃぁ、最初に、不安を持ってこないためにはどうしたらいいか?と問うたら、
不安になるような所に自分を配置しなければいい!(笑)。
不安にならなくても大丈夫で、当たり前だという位置に、自分を持って来ればいい。
選択すればいい。
そのためには「好ましい物」「すでにあるもの」に注目する。
結局、最後はいつも、ここに帰着するんだけどね。
すでに、あるんだ。自分が求めているもの、好ましいもの、はね。
すでに「ある」ものに満たされている自分が、当たり前の自分になると、
「無い無い無い」って不安にならないよね。
そういうことなのかな、と。
不安のループで回しても、喜びのループで回しても、
どっちでもいいんだけれども、
どっちを選択するか?と、いうことなんだろうね。
そしてもう一つ、
ラジオの中で笑ったのが、
子どもが受験生のとき、親が遊びに行ったりすると不謹慎だから、
親も遊ぶのを我慢した方がいいか?という質問に対して、
関係ナイ!!遊べ!
親は、自分が楽しんだらええねん。
子どもにお金をかけずに、自分を喜ばしたらええねん。
自分はきれいなべべ着て子供にボロを着せとけばええねん!って(笑)
この、「べべ」というのに妙にウケた(笑)。
この発言、場所によってはまた炎上しそうでもあるけれど(笑)、
心屋リスナーなら、いつものことと、すぐに理解できるよね。
子どもも、自分のせいで親が、しんどいしんどい言うていたら、
迷惑やねん。と。
そうやなぁ。^^。