なんか、どうも、モヤモヤするなぁ、と思っていた。
何がモヤモヤするのかなぁと思っていたら、
人を賞賛するときに、
人を持ち上げる代わりに何かをわざわざ「下げた」とき、
後になって、なんか、気持ちが悪くてモヤモヤするんだな、と気づいた。
その人の素敵なところ、良いと思う所を、
思わず賞賛するのは、それでいい。
そこで、別に終わりにしてもいいんよな。
なのにその後、
その賞賛と引き合いに、
その賞賛した内容が、いかに素晴らしいかを説明するために、
自分を下げたり、
そこに居ない第三者を下げたり、
なんでわざわざしていたのか!!!
これ無意識にやることあるけれど、
下げたものに対して、後から気持ちが悪くなるから、
やらなくてもええじゃん。って思った。
自分は自分に満足していて、本当は「自分のやりたい選択」をしているのに、
相手を賞賛したいがために、
自分よりもあなたが素晴らしいのよと、
「自分の選択」をわざわざ貶めたり、
そこに居ない第三者をわざわざ悪者に仕立てて、
悪く言ったり。
これ、必要ないやん!!って思った。
そこに居ない、アイドルや政治家や(笑)有名人や、他人を、
わざわざ引き合いに出して、
悪者作らなくてもよかったのかも、と。
あぁ別に、言った後も、モヤモヤしなかったり、
平気だったらいいんだけれども、
私は、どうもどうも気持ちが悪いということに気づいた。
気持ちが悪いと思いながらも、無意識にやっていたんだね。
相手を持ち上げると、相手の株は、より一層上がって、
賞賛度合いが上がるような気にもなるけれどね。
後で、なんか気持ちが悪くなる。
自分を下げなくてもいい。
自分を下げないと、相手は上がらない、ってことは無いんだよね。
自分もok.相手もok.
自分も尊重した上で、相手も尊重する。
誰かを押し下げなくてもええやん。
て、こうやって、
「押し下げる文化は気持ちが悪い」って言って、
「押し下げる文化」を押し下げているんだけれどね(笑)。
わざわざ何かを押し下げることなく、単純に、賞賛するのが気持ちがええな~。
比較しないって、無理な話なんだろうけれど、
これもokだし、これもアリ。
そして、あなたの選択も素晴らしい。
でよいのかもしれんね。
いつもいつも、なんか、モヤモヤしていた。
「今」を賞賛すれば、「過去」を否定しなければならないような気分になったり、
「この人」を賞賛すれば、その真逆をやっている人を否定しなければなならいような気分になったり。
そういうのが、気持ちが悪くてしんどかったんだけれども、
そのことに、あんまり気が付かずにいた気がする。
「ジャッジ」して、どっちが正しい、どっちが間違っている、
一方を上げたら一方を下げる。
っていう見方をするのが、当たり前のようになっているのかもしれんね。
「正解はコレ!」「世の中には正解がある!」っていう世界から少しずつ抜け出したら、
自然に、どんな選択肢も、どんな状態も、
「そうなんやね~。それもいいね~。それもありだね~」っていう考え方に、
なっていくかもしれんな。
片方をわざわざ貶めなくても、下げなくても、喜びあえる!