「好き・嫌い」にも、善悪があると思っていたなぁ。
これが好きなのは、いいことだけれども、
これが嫌いなのは、変わっているだとか。
これが嫌いなのは、おかしい、だとか、普通じゃない、だとか。
多くの人が「好き」だけれども、自分は「好きではない」とき、
多くの人が「好きではない」けれども、自分は「好き」なとき、
人に驚かれたり、指摘されたりすると、
怒られているような気分になって、
自分を責めていたよなぁ。
自分は変人なのだから、
治さなければならない!と。
だから、苦しかったよね。
人から何か言われると、
自分を否定されているような気分になっていたよな。
みんなが好みなものを、自分が好みでないとき、
責められているように感じるから、
その正当性を、一生懸命説明しようとしていた。
私は悪くない!私がこれを好きでないのは、やんごとなき理由があるからなんだ!
しょうがないからなんだ!(許して!!)って。
もともと、誰にも許しを請う必要なんて、無いのにね。
私はそれが好き、
あなたはそれが好き、
以上!
それで、いいのにね。
どっちの「好き」が、世間的に正しいか、一般的か、
人にウケるか、
ジャッジしなくても、よい。
世間一般では、どれが好まれている、
常識では、何が好まれている、
それを、「知った」とき、
「知った」というだけでOK。
そこで、「あぁ、自分は違った!自分は間違っていた!!」
って責める必要はない。
当たり前のことかもしれないけれど、
案外、心の奥では、そんな葛藤があったかもしれない。
これに気づかせてくれた名役者たち。
心のモヤモヤも、悪役も(笑)、みんな、名役者だった(^-^)。