誤解された!!と感じた時、
以前の私は、
「そうじゃないんだ!違うんだ!分かって欲しい!!
どうやったら分かってくれるかな!」
と、
とにかく自分の事を「分かって欲しい」モードで一杯だった。
反論をせずにはいられなかった。
言い訳をせずにはいられなかった。
When I feel that a man had a misunderstanding,
I argued that,"It is wrong ! I want you to know me!"
I was full of myself.
でも今日、ふと思った。
誤解されていることにびっくりしたけれど、
・「受け取り手は、そう受け取りたかったのか!」という発見と、
・自分の伝え方で、そういう風に解釈されることもあるんだな!
という発見。
そんなことを考えていると、反論の言葉が出て来なかった。
But today ,I thik it is not necessary to argue.
I found that a man want to receive it such a style.
I found that my opinion sometimes receive as a such style.
・私の事を、「分かって欲しい!」よりも、
・相手が「そう解釈したい」と思ってそう「受け取った」のは、何故なんだろう?
と、
相手の方へ意識が向いた。
自分の意識が、
自分を「分かって欲しい!」から、
相手を「分かりたい!」に
変わってきたんだな、と思った。
私のことを、「分かって欲しい!」と、
自分の意見を押し付け、弁明すればするほど、
なんだか話は、ややこしいことになる。
相手も、自分の事を「分かって欲しい!」と思っているし、
私も相手に「分かって欲しい!」と思っているから、
なかなか、お互いに、分かり合えない。
それが、どちらか一方が、
「相手の事を分かりたい!」と思ったら、
それは、争いなく終わるんだね。
「相手はそう解釈したのか!へぇ!!」
「そういう受け取り方もあるのか!びっくり!!」
そう思っただけで、
特に、
「私は、そんな人間ではないのです!!分かってください!!」ってわざわざ主張することも、ないかな、という気がした。
人は、受け取りたいように受け取って、
解釈したいように解釈する。
100人居たら、100通りの受け取り方がある。
だから、自分が伝えたいような形をそのまま完全に
受け取ってもらう事って不可能なんだろうね。
良いことを「8」言って、ちょっと残念なことを「2」言ったつもりでも、
相手は、
残念なことを「10」言われた!
という風に受け取ったりする。
これ、自分も今までずっと、やってきたこと(≧w≦)。
発信する側の意図に関係なく、受け取り手が受け取りたいように、
大きくして、拡大解釈して、受け止めることって、よくある。
逆に、
良いことを「2」だけ言って、残念なことを「8」言ったとしても、
良いことばかり「10」言われた!!ヽ(´▽`)/
と受け取る人も居る。
これを、実地で感じた。
思ったように受け取ってもらえてないと気づいたとき、
ものすごいもどかしい思いがするんだけれどね。
「あぁ、そうなんだね。」「そう受け取ったんだね」と、
そんな気持ちになったよ。
私が岡山STEPの居心地が良いのは、
何を発信しても、「良きに計らってくれる」という安心感があるからなんだな、と
思った。
失言してしまっても、
どうせ良いように受け取ってくれるから、
少々失敗しても、大丈夫って思える。
まあ、この誤解も、
解こうとすればするほど悪化するけれど、
「いいように解釈してくれるはず」と、
誤解されたことさえも、手放して、
相手を信じていたら、
そのうち、忘れた頃に、良いことになっているのだろう。