私が心理学の勉強を始めた動機というのは、たくさんあったのだけれども、
その一つに、
人の事を悪く思ったり言ったりする自分が嫌だから、
人の事を悪く思ったり言ったりしない心の美しい人間になりたい。
というのがあった。
I have had several reasons for studying pshychology.
For one things , I want to be a lady who has a beautiful mind that is
not to think and to say bad things about the others.
・・・・・(≧w≦)!!
本気で、そう思っていた(≧w≦)。
AさんとBさんとCさんの、3人が居たとする。
AさんとBさん二人の時には二人で、そこにいないCさんの陰口を言って、
AさんとCさん二人の時には二人で、そこにいないBさんの陰口を言って、
BさんとCさんが二人の時には二人で、そこにいないAさんの陰口を言って、
でも、3人が一緒の時には、みんなを褒め合っている。
そんな構図を外から見るたびに、
こんな世界は嫌だと。
こんな世界には、巻き込まれたくないと思っていた。
でも、自分は、全くそれをやっていないかというと、
気が付かずに、自分も加担していたり、
自分もやっていた、と後で気づいて、自己嫌悪に陥ったり。
そして、そんな世界は嫌だから、
そんな世界に関わらないようにしよう、
そんな世界を見ないようにしよう、
と、
意識すればするほど、
逃げても逃げても、
世の中にはそんな図式はどこにでも存在していた。
上辺では、褒めてくれるあの人も、
もしかしたら、裏では、私の事をけちょんけちょんに言っているのかもしれない、
そんなことを疑い始めると、
その場に居るのは、とても辛くなる。
だから、そんな部分は、
あるのか無いのか分からないけれど、
あったとしても、気づかないフリ、見ないフリをしていようと、
思っていた。
でもふと気づいた。
気づかないフリ、見ないフリ、無いつもりに、
する必要もないのかもしれないない、と。
あって当然。あっても別に、フツー( ̄▽ ̄)。
そう思って世間を見てみると、
グチグチ陰口言っている様子を、外から見ても、
なんだか、あんまり、ソワソワしなくなってきたかも。と。
自分の不安を解消するために、
本音を吐き出すことって、別に悪いことじゃない。
フツーのこと。
それに加担するかしないかは、
私の自由だし、私の選択。
無理に、同意しなくてもいいし、
悪口に対して、軽蔑する必要もない。
悪態って、不安や恐れがあるから、吐き出していることであって、
吐き出すことは、別に悪いことじゃないんだよね。
そう思ったら、
自分も、悪態をついてもいいし、
悪態をついている人を嫌悪する必要もないし、
悪態をついても、別にいい、と思ったら、
悪態をつく必要って、無くなるような気もした。
なくしたいものがあったら、
無理矢理、蓋をするのではなく、
反対に、それを、許した方が、いいんだろうな。
心の美しい聖人君主に、なろうと思っても成れるものではないし(≧w≦)、
「人を悪く思わない聖人君主」に成ろうと努力すればするほど、
それとは反対の、「人の悪口を言っている人」を悪く思っていくという、パラドックス。
人間だから、好みはある。
好き嫌いはあって当然だし、
別に、
「好き」が良くて、
「嫌い」が悪いわけではない。
「嫌い」でも「良い」んだもんね。
好き嫌いの無い、何でも好きな、ALL好きな(笑)、
聖人君主になろうとしていたよ(≧w≦)。
直さなければならないものって、何もない。
そう思い始めたら、
これも、ただ、ありのまま、
自分の心に正直に、選択すれば、いいんだなぁ、と思えた(^0^)。