ここが、岐路だと思った。
失敗して、ヘマをして、
人に助けてもらったとき。
人にお手数をおかけしたとき。
あ~。やってしまった!!!自分のバカバカバカ!!!!!(><)!!
今までの私が間違っていたんだ。
ごめんなさい。
私が居るから、人に、ご迷惑をおかけするんだ。
私は、何もしない方がいい。
人にご迷惑をおかけしないように、隠れて、ひっそりと暮らして、
なるべくなるべく、できるだけ、誰にも迷惑をかけないように、
ご迷惑をおかけしないように、生きていきます!!
って、反省して、小さくなるか、
あぁ!失敗したけれど、
助けてもらって、どうにかなった!!
ありがたい!!!
本当に助かった!
あの人が居てくれたおかげで、大丈夫だった。
次、同じ失敗をしないように厳重注意するけれども、
こんな私だから、
また、やってしまうかもしれない。
そうなるのは、怖いけれど、
もし、また失敗しても、きっと助けてくれる人がいる。
私は愛されているし、守られている。ありがたい。
だから、大丈夫。
あの人の存在。この人の存在があって、
私も生かされている。
この世は暖かい。
と思って生きるのか。
なるべく人様に迷惑をかけないように、かけないように、
予め、準備して準備して、
危機予測をして、臨んでも、
それでも、色々なことは起こるのだから、
危機予測をせずに、のほほんと暮らしていたら、
そりゃ、もっと、色んな事が起きて、
うぎゃ~!!ってことに、なるかもしれんな( ̄▽ ̄)。
まさに、「体験から学ぶ」「結末から学ぶ」。
でももう、これは、しょうがないのかもしれない。
どんなに危機予測しても、起こる時には起こるし、
みんな、人に助けてもらいながら、生きている。
自分だけ、人に迷惑を掛けずに生きようったって、
それ、無理なこと。
迷惑をかけていないと思っていても、
実は迷惑かけていたりする。
自分の気が付かない所で。
反対に、自分が、何でもないと思っていることで、
自然に、フツーにやっていることが、
人の何かの恩恵になっていたりもする。
自分の気が付かない所で。
そんなものなのだから、
失敗は、自己否定のチャンスではなく、
人を信じるチャンスなのかもしれないね。
罪悪感を選ぶか、感謝を選ぶか。
自分の居場所がない、と受け取るか、
世の中は、暖かい、と受け取るか。
どちらでも、選択できるということ。