「聴き方」の章。これまたでっかいパッカン来たよ。
今の私の役割は、
「まず、私が私を満たすこと。」
私は私のために、ブログを書くし、
私は私のために、ピアノを弾くし、バレエをする。
私は私がやりたい仕事をするし、
私は私がやりたい勉強をする。
私が私を整える。
それが、今の私の使命。
ステージが変れば、また変わることもあるかもしれないけれど、
先を急いで、
「人を助けなければ!!!」とか一瞬でも思ったら、
私はとたんに巻き込まれて、
一緒にしんどくなる、一緒にボロボロになる(*'ω'*)。共倒れになるんだね。
そして、
どういう風に考えた方が、
自分を心地よい位置に持って行けるかは、
その人の産まれてから今までの信念、生き様、
考え方の癖によって、全然違うから、
人の真似をしても、うまくいくとは限らない、ということ。
うまくいっているように見える人、
きらびやかに活躍しているような人を見て、
そんな風に私も成れたらな!と思って、
心屋さんや、ナリ君や、ハッピーちゃんや、はるちゃんや、
Mちゃんの真似をしようと思って、
ずっとずっと、観察してきた。
そして気づいた。
得意なやり方は、結局は、自分で見つけるしかない。
自分の中にしかない。と。
もう、根本的に、物事の考え方の前提や、
今居るステージが違うのだから、
違うステージにいる人がやっている表面的なところだけ真似をしても、
そんな風にはなれないし、
なる必要もない、のだということ。
思考の前提の根本的なものを、どうにか自分に取り込もうとしても、
子供のころから積んできた基盤が違うのだから、
基盤を、簡単にとっ変えることはできない、ということ。
その人の心地よいを、私が真似しても、
私も心地よくなるとは限らないということ。
得意な分野も全然違うのだから、
人が得意なこと、私もコレ、得意にならなきゃ!!とか思っても、
無~理~(^ω^)ってこと。
私、違う誰かになろうとしていたみたいだけれども、
それ、無理だから、もう諦めれ~~~。ってこと。
それは、やってみて知ることだから、
色々やってみる時期も必要。
これね、きっと、何も学ばなくても、
幼少時から、当たり前のように分かっている人も、
世の中には山ほど居ると思う(*'ω'*)。
そういうことなんだろうね。
人の当たり前が、自分の当たり前ではないし、
逆に、
私が当たり前だと思って、全く言及しないことが、
人にとっては驚くほどの発見であるということもある。
そして、どれが正しくて、どういう順番で、何を学んでいくかも、
人によって、全く違う、ということ。
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STEPのテキストに、ずっと出てくる
「聴く」というテーマ。
「聴く」って、ものすごく大事なこと。
だから、何はともあれ
まず、「聴かなきゃ!」って思っていた。
たとえ、あんまり聴きたくないときでも、
関係性を良くするためには、聴いた方がいい。
頑張って、聴こう!!としていた。
「聴きたくないときには、聴かなくてもいいんだよ~」
と言われても、そう言っている人たちが、
よく聴いてくれる人ばかりだったので、
「そうは言っても、やっぱり、聴くのがすべてじゃん」
って感じで思っていて、
聴こうとしていた。
私は、マニュアル人間だから(笑)一旦、「これが正解だ」と思うと、
必死に、それをやろうとしてしまう傾向があるんだね(*'ω'*)。
STEPに行くたびに、
「正解は無いことを学んだ!正解は無いことを学んだ!!!!ヽ(´▽`)/」
って、毎回毎回、ブログに書いておきながら、
ここに来ても、まだ、正解があるかのように思っていたんだなぁ。
と驚愕したけれど、
思い込みというものは、そんなものなのかもしれない。
他人から見ると驚くくらいに、信念とか前提っていうのは、根強いもので、
取り外したと思っても、思っても、
根付いているものなのかもしれない。
そして、私の中に、
「正解」というものがある限り、
「正解」じゃなかったとき、「正解」の通りにできなかったとき、
それは、罪悪感や失敗感に繋がって、
出来ない自分を、知らぬ間に責めていたりする。
「あぁ、きちんと聴けない」。
聴いた方がいいのに、
聴けないなぁ・・。
そもそもこの話、あんまり聴きたくないんだけれども、
そんなこと思うなんて、自分は拗ねている証拠だから、
そんなこと、感じなかったことにして、
どうにか聴きたくなるように、したいなぁ。
とかいう方向に思考が向いて行ったりしていた。
前提が違うと、こういうことが起きるのよ!!!(≧w≦)。・
それでね、昨日のSTEP/TEENの演習で。
もう私、「人をどうにかするのは私の役割ではない」と開き直って、
フツーに聴いた。自然に聴いた。
「この人を助けなければ」とかいう気持ちを全く持たずに聴いた。
そしたら、
話し手も、とても心地よく話してくれて、
なんだかとても上手くいった気がした。
私も、しんどくない。
「この人をどうにかしてあげたい」と思って聴いた方が、
うまく聴けるタイプの人と、
「この人は私がどうにかしなくても大丈夫だ」と思って聴いた方が、
うまく聴けるタイプの人と、
あるのかもしれない。
自分は、どうやったら聴けるのか、
色々やって、自分で試してみて、自分の方法を
発見していくしかないのだと思った。
なんとなくだけれども、
自分を満たすことが既に充分にできている人は、
「人をどうにかしてあげたい」と思った方が、
自分も相手も、Win~Winなのかもしれない。
でも、今の自分は、そのステージにはないのだと、思った。
私が人をどうにかしようと思わなくても、
私が私を満たしていたら、
自然に、誰かが、何かを持って行ってくれる。
そっちを信じて、まずは自分を満たすことをしないと、
自分が自分を犠牲にして人を助けようとしても、
共倒れになるだけなのかもしれないね。
聴きたくないことは、聴かなくてもいいし、
話したくないことは、話さなくてもいい。
「聴き方」の章を学んだのに、
私の学びは、こっちだった(*'ω'*)。
このブログも、
私は、誰かのためではなく、自分のために書いている。
だから、私の好きなように書く。
書きたいことを、書きたいときに、書きたいだけ書く。
何度でも何度でも、同じようなことを、
ぐるぐるぐる書く。
これと同じような記事、もう何本も過去に書いている。
でも、思い出すたびに、また書く。
そうして、これが当たり前になって、書く必要がなくなったとき、
同じネタでは書かなくなるのだと思う。
何度も何度も書いて、何度も何度も感動してパッカンして、
そして、いつの間にかに自然に変わっていく。
これが私のスタイル。
だから、人に分かりやすいように書かなければ!とか頑張らないし、
読みたいと言ってくれる人だけに公開する。
読みたくない人には、リンクを貼らない。
読む人が誰も居なくても、私は昔から文章を書き続けてきたし、
これからも、書き続けるだろう。
これは、私がやりたいからやっていること。
それでいいし、それで行こうと思う。
自分も無理しないし、人にも無理をさせない。
私が私を大切にすること、
それが、今の私の唯一の使命。