このパッカン↓からの、さらにパッカン。
「親が、どんな親でも、今の私になっていた」
ってことは、同時に、
「私が、どんなにいい子でも、私の親は、今の私の親の状態になっていた」
ってことだ!!
私が、どんなにもっともっと頑張って、完璧ないい子であったとしても、
私が、どんなに親を幸せにしようと頑張ったとしても、
はたまた、
全然頑張らなくて、ダメダメな子だったとしても、
どんなであっても、
「今の親」は「今の親」になっていた!!!
私、もっと頑張ったところで、
もっといい子であったところで、
どっちにしても、
親が、そう生きると決めて生まれてきたのだから、
私の手の及ぶところではなかった!!
私がもっともっと更にいい子だったら、親は幸せだったかもしれない、とか、
私、いっぱい努力したけれど、それでも全然親を幸せにできなかった、
私の能力が足りなかった!とかって、
もう、思考が根本から違う!!( ̄▽ ̄)
私がいくら最高級のいい子になったとしても、
いくら素晴らしすぎる子になれたとしても、
親が、しんどい生き方をすると決めて生きているのなら、
私が親を幸せにすることはできないし、
そもそも、
「しんどい、しんどい」と言っているのが、
幸せだったりする形もある。
みんな、そうなりたくて、そうなっている。
親のせい、子のせい、
とかではないってこと。
自分の、過去のしんどかった時期も、
あの時期は、私が、自分で、
そういう経験をしたくて、
すると決めて産まれてきたのだから、
経験するべくして経験してきたこと。
今の、真逆の生き方の「意義」を知るためにも、
過去のあの時期を、経験したくて経験してきた。
もうね、
自分の人生、
ほんま誰のせいにもできないし、
人の人生の責任も、
取りようがない。
食べ物と一緒だな、と思った。
自分の口に入れて体に入れたもの、
自分の体で消化して出さないと、
替わりに人が、消化して出してあげることはできない。
自分の体に入れたら、自分が最後まで責任取るしかない。
誰かの体が代わりに吐いてくれたり、
ほじくり出してくれたりはできない。
他の誰にもどうすることもできない。
自分にしか、責任は取れない。
親がどんなにいい親でも、私は今の私になっていたし、
私がどんなにいい子でも、親は今の親になっていた。
私の子も、私がどんなでも、今の私の子になっていた。
同じ条件で違うパターンの実証は、
誰にもできないのだから、
勝手に都合の良いように、信じていたら、いいんだと思う。
てか、もう、いい加減、
自分の周り、
幸せだらけ!!!ヽ(´▽`)/
だということに、
私が気づいているのを、私は、認めてもいいと思う(爆)。
どんな形であれ、
それは、その人が選んだ幸せ。
そうやりたくて選んでいる。
まだ、不幸扱いにしたいのか・・・?(≧w≦)
かわいそうコントをまだ続けたいのか・・?(≧w≦)