他人を大切にする一番の方法は、
自分を大切にすること
だということに気が付いた。
他人の顔色を伺ったり、
媚びたり、
自分が我慢をして他人を持ち上げたり、
することが、
他人を大切にすること、ではない。と。
それらは全く逆効果。である、と。
ちょっと、どうでもいい例かもしれないんだけれども(*'▽')、
職場で、セールスの電話がかかってきたときの話。
私は、もう職場歴17年の、自称、電話取りのプロなので(^0^)、
セールス電話に心乱されることなく、
丁重に、数秒で、お断りするのだけれども、
このとき、
はっきりと、丁重にお断りできたときは、
こっちもとても気持ちがいいんだよね。
もうね、容赦なく、お断りするよ。
「この春に入社した新人で、御社の地区の担当になりましてご挨拶を」とか言われても、
「あぁ、新人さんだから、話を聴いてあげようか」なんて仏心を出すことなく(≧w≦)、
もうはっきりと、ぴしゃっと、丁重にお断りするよ。
相手は、ちょっと残念そうな声で、「そうですか」と電話を終えるけれど、
これが、お互いの一番の幸せのためだと思うんだな。
ここで私が、余計な仏心を出して、
新人さんだから、話を聴いてあげよう、私が練習台にでもなってあげようかな、
と、聴く時間を少しばかり捻出したところで、
・私の仕事の時間のロス。
・新人さんの仕事の時間のロス。
・時間を使ったけれども、契約には絶対に至らないという、労力のロス。
・私は本当は聴きたくないのに、聴いてやったんだという、
変な「貸し」を作った感。
・私は時間を奪われた、という気持ちの悪さ。なんとなくの、イライラ感。
・契約につなげようとする相手と、契約には乗るもんかという私の駆け引きの妙な気持ち悪さ。
なんかが残って、
いいことなんて何もない!!
新人さんの営業の練習なら、
それが聴ける人、それを聴いて心地よい人のところでやってもらった方が、
何百倍も、良いと思う。
私が犠牲になって、「貸し」を作ってあげたところで、
誰の何の得にもならないんだ。
それなら、さっさと、気持ちよくお断りしてあげる方が、
自分のためにも、相手のためにも、良いと思うんだよね。
自分がどうしたら心地よいかを優先することが、
結果的に、
相手のためにもなっているんだと思うんだ。
もちろん、お断りするときは、
失礼な態度とか、ぶっきらぼうな態度とか、迷惑そうな態度とかでは
断らないよ。
そんな断り方をしたら、
自分も気持ちが良くないからね。
あくまでも、優しく、丁寧に、
「こちらには必要がない」ということを、早い段階で’(電話取って数秒で(≧w≦))
はっきりと、伝える。
そこに、遠慮も罪悪感もいらない。
これなんだと思った。
まぁこれは、業務として、「セールス電話はボスに繋がずお断りする」というのが、
私の仕事でもあるから、
何の迷いもためらいもなく、はっきりとやることができる、
というのもあるのかもしれないけれどね。
でもこれ、普段の生活でも、
当てはまるのかもしれない。
自分は何が欲しくて、何が要らないか。
何が心地よくて、何が心地よくないのか、
はっきり自覚して、それを取捨選択する。
それが、自分が自分を大切にする、ということ。
そして、それを、罪悪感なく、
はっきりと、あっけらかんと、
伝える、ということ。
これが、自分も他人も、大切にする、ということ。
自分の心地よいを優先することが、
結果的に、一番、相手のためにもなるんだと思う。
相手を大切にするということ。
それは、決して、
相手の顔色を伺って、
自分が我慢をすることじゃないんだね。
自分が我慢して耐えて、
相手も、私の我慢に答えてゴリ押しして、
結局、両方が、疲れてってなると、両方ともに、何もいいことが無い。
お互いが、自分のサイコーの活躍の場で、
活躍できる場で、活躍した方が、良いもんね。
そのためには、こちらがきちんと、意思表示をする、ということ。
それが、結果的に、相手のためにもなるということ。
自分の「心地よい」は何か、
自分が知って、それを、自覚している、認識している、
ってことなんだろうね。
自分を大切にすることが、
周りも幸せにするのだから、
何の罪悪感も遠慮もなく、
自分の心地よいを、選択していけばいい。
そうしているうちに、勝手に、周りが、
心地よいように、回っていっているような、気がする(*'ω'*)。