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自己満足で勝手に楽しむ日記

楽しいことの寄せ集め。

岡山STEP/TEEN 2巡目第8章 思えばほんま好きなことしかやっていない

いつものごとく、章立てとは関係なしに(^0^)、

自分の感じたことをメモ。

 

気が付いたら自分は、

ほんと、「嫌なことって、何もやっていないよなぁ」と思った。

 

これは、最初の頃は「意図的」に考えていたような気もするけれど、いつのまにかにそれが当たり前のこととなっていた、という感じ。

 

岡山から帰って、いつものように私が、しきりに、

「楽しかったヽ(´▽`)/楽しかったヽ(´▽`)/」

と言っていると、

 

夫が、

「●●さん(=私のこと)は、自分のために生きる存在で、

自分と▲▲(=息子)は、自分のためには生きられない存在なのです(^-^)」と言っていた(笑)。

 

これ、まさに、男女の陰陽

 

私は、わたしのご機嫌だけを意識して生きれば生きるほど、

勝手に周りを幸せにするけれど、

私が、ひとたび「人のため」とか思い始めると、

何かがガラガラと崩れていく。

おかしなことになる。

 

これを、何度も何度も体験した。

 

だから、もう、諦めて、開き直って

私は、私の心地の良いことだけをする、と決めた。

そしたら、物事が、上手い具合にばかり回り始めるようなった気がする。

 

以前、物事の判断基準は、

・第一に、「世間と同じか?常識的か?」

であり、

・第二に、「お金が得するか?モトが取れるか?」

だったけれど、

それを取っ払って、

自分が心地よいか?やりたいか?得意か?

に、いつの間にかに絞るようになっていた。

 

そしたら、

気づいたら、嫌なこと、何もやっていなかった。

 

もちろん、やりたい度数が、10マックスのものもあれば、

やりたい度数が1ぐらいのものだったり、

そんなにやりたいわけでもないかもしれないけれど、やらなければならないこともあるかもしれないけれど、

そんなにやりたくないかもしれないことについても、

自分が選んでやっている

と意識してやっているから、苦痛ではない。

自分がやることを決めて、やっている

のだから、嫌な気分にはならない。

人にやらされて嫌々やっていることって何もない!と、堂々と断言できるくらい、

嫌なことって、何もやっていない気がする。

 

 

昔、前職の転職を迷っていた時、夫に、

「やるなら文句を言わずにやれ、文句を言うなら辞めろ」

と言われ、

とても文句を言わずにいられない状況だったので、辞めた。

 

なんて厳しい考え方なんだ、まさに、男の世界で、

女の「気持ち」の部分を無視している、と一瞬思ったけれど、

 

この言葉は、その後もずっと、もっともだと思って私の中にずっとある。

そうなんだ。

文句を言わなければやっていられないような事柄は、

そもそもやる必要がない。

やらなくていい。

やれる役割を持つ他の人に、譲ればいいんだ。

 

人に譲れなくて、どうしても、やらなければならない事情があったりして、やることを選んでいるのなら、

それは、自分が何かメリットがあって

選んでいる」ことなのだから、

 

やるのなら、自分は、「選んでいる」と自覚する。

 

そうしたら、自分の中に、

人にやらされていること、

嫌々やらされていること、

って、無くなるんよね。

 

自分を幸せにするのは、自分。

自分に何を与えるか、与えないか、

決めているのは、他でもない、自分なんだということ。

 

だから、見るべきは、

世間の常識、ではなく、自分の心、

だということ。

自分に聞く、ということ。

 

自分の不得意なことは、

それを難なくできる人、それをやりたくてたまらない人、それをするのが大好きな人が、必ずいる。

それなのに、やりたくない人が握りしめてやっていたら、勿体ないよね(*'ω'*)。

 

 

 

 

なんとなく思ったのだけれども、

 

何事も、「自分がやりたくてやっている」、

と思ってやっていると、

人に、「(この苦労を)分かって欲しい」って、

思わなくなってくるのかもな、と。

 

 

テキストを用いたディスカッションの中で、

 

主導権争いのときに「Iメッセージ」を使うと、「相手を分かりたい」よりも「自分を分かって欲しい」が前面に出て、

ますます主導権争いがひどくなる、

というような話をしたのだけれども、

 

自分が常にご機嫌だったら、

人に自分の努力を、苦労を「分かって欲しい」

って思うこともないよな、

と思った。

「こんなに頑張ったのに!(報われないなんてひどい!!)」って、押し付けることもないだろうしね。

成果が出ようとも出なくても、

やっていること自体を、

納得しているし、楽しんでいるからね。

 

 

私、講座の初期の頃、

講座を受けるのならモトを取らなければならない!!成果を出して、人に貢献しなければ!

って思っていたから(笑)、

どんな話でも人の話を「聴ける」ようにならなければ!!!とか、

人を救う、助ける、お手伝いを私も!!

って、結構、必死に思っていた(笑)。

でも、長年色々やっているうちに気づいた。

 

それ私の得意分野じゃないし、

私の役割ではないかも、と。

それをやっている自分は、

大好きな趣味をやっているとき以上にウキウキして、

幸せがあふれ出るか?それは、私の得意分野で、頑張らなくても自然に出来るようなことか?と言われると、

今はそんな気がしない。(将来はどうか分からんけどね。)

だから、これは、今は私の役割ではないのだと気づいた。

いい意味で、諦めた(笑)。

役割というものが、あるんだ。

 

 

そしたらすごく楽になった。頑張らなくてよくなった。

「聴く」についても、聴けない話は聴かなくていい。

聴きたい話を聴けばいい。

これも、何度も教わったけれど、なかなか腑に落ちなかった。だってテキストには、

「聴く」って大事ですよ、としか書いていないように見える(笑)。

長年、周りを見ているうちに、出来る人は、「聴く」「聴かない」もきっちり選んでいるし、聞き流せたりしている。それでいいのだ、それがいいのだと、やっと腑に落ちるようになってきた気がする。

 

 

私は、人のためにブログを書いているわけでもない。

自分の心の整理のために書いているけれど、

これが私のスタイルで、これでいいのだ。

これがね、人のために、人に理解してもらうために書かなければ!ってなると、

とたんに、私は、何か違う物になる。きっと(笑)。

 

これが、自分なんだ~ということ(^-^)。

自分は、自分の役割(好きなこと得意なこと)をやっていれば、

いいんだ、ってこと。

 

 

 ***

 

 

それから、

「成功と体験」しかない、という話。

これも、昔からの定番の言葉なんだけれども、

世の中に、「失敗」というものは、無い。と。

「成功」と、「体験という学び」しか、ないんだと。

 

この言葉には、いつも救われるよね。

 

ああ、あのとき自分が発したあの言葉、

失敗したかな、と思うことが、

私も度々あるけれど、

 

これ、失敗じゃない。

失敗した自分を責めたりしなくていい。

これも、体験でもあるし、学びでもある。

 

そして、

その、なんか上手くいかなかったことを、

相手は、みんなは、受け入れてくれるだろう。

良い具合に解釈してくれるだろう、

と、

信頼することが出来る、という体験の積み重ね。

 

半分は、この体験をしに、私は

岡山に通っているような気もする。

 

はき捨てるほど失敗してもいい。

失敗しても失敗しても、

大丈夫なんだ。

あ、やっぱり、大丈夫だった。と、受け入れられる体験。

 

ありのままの自分を出せる場。

 

体験をしながら学び、学び、

次に積み重ねて行く。

 

そういう体験を重ねているうちに、

いつのまにかに、自分の自然な言動も変わっていって、

 

自分の心が安定して、

自分の事も、人の事も、許せるようになってくるのかもな、と思った。

 

 

岡山に通い始めてもうすぐ6年。

いつのまにかに自分は、随分変わったようだ。

私は、何よりも、誰よりも、夫が変わったと思っていた。

それは、私が変わったから夫も変わったのだと思っていた。

それが、昨日、夫は、

「(自由に生きる方法を)十数年かけて、●●さん(=私)に伝授しました(^0^)」

と得意そうに言っていた!!。

 

そう言われてみれば、そうでもあるのかもしれない。

STEPで私が変わったのもあるし、

それと同時に、

夫という、自分とは全く違う思考回路を持つ存在に、

私はたくさん衝撃を受けてきた。

 

 

「世間の常識を外していいんだ」

「外せ外せ」「まだまだ外せていない。もっと外していい」

って言葉で言われたわけじゃないけれど、そんな風な感じのことを、ときにはバトルを繰り広げながら(笑)、展開してきた。

 

 

それでも常識にずっとしがみついていようと

頑なに昔からの教えを守ろうとしていた私を、

引きはがそう引きはがそうとしてくれ、

 

やっと、何か、最近、

引き剥がれて、何の罪悪感もなくなってきた気がする。

 

気が付くと、

世間の常識とは全然違う、

へんてこな家になっていたけれど(笑)、

 

そこに暮らす人たちはとても幸せで。

 

あぁこれでいいんだ、という暮らしができている。

 

世間の常識よりも、自分たちの心地よさを最優先に生きているから、

あまりにも世間の常識と違いすぎて、

 

時々不安になりそうになるけれど、

そうなると、岡山STEPに行くと、

もっとぶっ飛んだ、それでも大丈夫だと証明してくれる生き証人がいるので(笑)、

あぁ、やっぱり大丈夫だと、

また安心して、

 

居心地の良い変な家(笑)に帰れるのです。

 

ほんま、好きにしか、生きていない(^0^)。

それでも、この世は大丈夫みたいな気がする。

 

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