人が、その場に居ない第三者の気持ちについて語っているとき、
思わず、その第三者に対する評価や思いを口に出してしまいそうになるけれど、
聴くべきことは、
今、その話をしていて、今、目の前にいる、「その人」の気持ちなんだよね。
「その場に居ない、第三者の気持ち」について、二人で話し合うんじゃないんだよね。
そこを間違えると、
ややこしいことになるんだよね。
もうちょっと分かりやすく書くと、
AさんとBさんが、Cさんの気持ちについて話をしているとする。
目の前の相手(Bさん)が話している世界は、
目の前に居るその人(Bさん)の見えている世界。
そこに居ない第三者(Cさん)が、自分の気持ちをBさんに話して、
その気持ちを、「Aさんに伝えて欲しい」と言ったとしても、
やっぱり、Bさんのフィルターを通した世界と、
Cさんの見ている世界、感じている世界は、
決して一致することは、無いんだよね。
だから、Aさんは、BさんからCさんの話を聴いたとしても、
それは、真実ではなく、Bさんのフィルターなんだ、ということを、
心に留めておいた方がいい。
人の見えている世界って、ほんと、
驚くほど、違う。
みんな、違う。
同じようでも、違う。
同じ場所に居ても、見えているものが、全然違う。
人も自分と同じように感じているだろうと思いがちだけれども、
全然違う。
Aさんのすることは、
Bさんの言葉を、「そうなんだね」と、聴くことであって、
Cさんの言動について、批判することではない。
例え、Bさんが、Cさんの批判をすることに同調してもらいたがっている風に見えたとしても。
Aさんのすることは、
Bさんと一緒になってCさんを批判することではない。
Aさんのすることは、
ただ、目の前にいる、Bさんの気持ちを聴くことだけ。
Cさんの弁護でもなく、
Cさんの気持ちの解釈でもなく、
ただ、Bさんの気持ちを聴くことだけ。
Bさんをなだめようと、一緒になってCさんの批判をすることではない。
そんな風に、私は思った。