アウトプットするタイミングを逃していたのだけれども、
今、佐伯和也さんのBASE5期のオンラインメンバーに登録している。
オンラインメンバーなので、
本メンバーの方々とお会いしたり、講座に参加したりはできないんだけれども、
大量の文章と、動画で学ぶことが出来る。
今、数週間学んだことで、印象に残ったポイントが
少しずつ挙がってきたので、そろそろ
アウトプットしてみることにする。
1)コミュニケーションのコツ
分かったことは相槌を打ち、「分からないこと」は聞く。
これ、一見、当たり前のようなことだけれども、
案外、盲点だと思った。
分からないことを聞く、っていうのが当然なようだけれども、
「分かっている(と思っている)ことを聞いている」ってこと、
実は、結構あったりする。
自分が分かっている、知っていると思っていることを、人に、「これ、知っている?」と確認するために聞いたり、
相手のことを試して聞いたり、
何かを引き出そうとして聞いたり、
意外にやっていたり、反対に、人からされたりすることがある。
される側に立つとよく分かるのだけれども、
この質問の圧迫感って、強烈。
馬鹿にされているような、上から目線のような、信頼されていないような、
なんともいえない気持ちになる。
ある講座で、枕詞みたいに、冒頭に、
「分からないんだけれども・・・」と付け加えてから、質問をする、という技法を聞いたことがあるけれど、
これも、このコツと、同じ意図で、
純粋に、「分からないことを質問する」っていう姿勢を見せているということなのかもしれないな、と思った。
聞いているのは、責めているわけじゃなくて、
あなたを試しているわけじゃなくて、
「私が分からないから」「私が知らないから」聞いているんだよ。
というのを、先に伝えておく。
知りたいのは私だよ。教えてくれたらうれしいな。という感じ。
そうすれば、聞かれる側は、尋問のように感じることが少ないかも。
心理学では、よく、
「開いた質問」「閉じた質問」とかいう表現の仕方で、質問のやり方を学ぶけれど、
私は、実は、どちらの質問であっても、
質問をされること自体で、もう、
「責められている!」と感じてしまうことがよくあった。
質問されると、尋問されているような、
嫌な気分になることがよくあった。
その正体はこれだったのか!!!と気づいた。
相手が、「分からないこと」「知りたいこと」を
聴いているのか?
それとも、こちらを試そうとしているのか?
この違い。
だから私も、「相手を試そうとする質問」ってのは、
やらなくてよいな、と思った。
そして、反対に、こちらが試される質問をされたとき。
相手に試されているから、
相手に納得してもらえるように説明しなくては!と思って、
必死になって説明していたけれど、
なかなか相手に納得してもらえなくて、
しんどかった。
よく大人が子供に、
この手の質問をしている様子を見ることがある。
「●●を知っているか?」と。
「●●とはどういうことだ?」と。
これは、教師が教え子に対してする質問であって、
私の役割ではないな、と思った。
だから、私も、たずねるならば、
単純に、純粋に、「分からないこと」「知らないこと」を聞こう、教えてもらうために聴こう、と思った。
2)親の理想と子の現実が違うとき、その差が反抗を生む。
この図が、すごく分かりやすくて印象に残った。
親の理想
⤴ > このギャップが「反抗期」
子 → 実際の子
親が、「実際の子」より高い位置の理想を見ている。
これが、反抗期を生むと。
実際より高い理想を見るのではなく、
そのままの位置の子を見ていればよいと。
なんだか、言われてみれば単純なことなのかもしれないけれど、
図にしてみると、なんだかすごく腑に落ちた。
これ、全ての関係においてもそうなのだと。
高い理想を見る前に、
今、目の前の相手が、
何を考え、どう考え、どうあるのか。
その確認をしていればいいのかもなぁ、と。
1)・2)とも、
こちらが相手をどうにかしようとする、というのが一切無い。
相手のことを、見せてもらう、という印象。
コミュニケーションというものは、
本来、そういうものなのかもしれないね。