今回の岡山での講座は、
「男女の陰陽」について。
この講座の元ネタになった講座は私も受講したことがあったんだけれども、
もうすっかり内容を忘れていたので、
今回は、再度復習をしてもらったような感じで、
また新たに内容をインプットできた。
分かっていても、日常生活を送っていると、
いつのまにやらすっかり抜けて、
気が付くと、学んだ内容は忘却の彼方に追いやられている。
昔からの慣れた自分の姿に戻っている。
何度も何度も失敗して、体験が伴うと、やっと、
理解できる、という感じ。
陰陽講座で定番の、
『女は、ご機嫌で沈黙』
という項目を実践するのも、何年も何年もかかっている。
ついこの間もまた失敗したばかり(笑)だけれども、
たまたま先週はなんとかうまくいったところだった。意識的に、実践できた。
やっと少しずつ、これが実践出来て来たかな、
という感覚がある。
少々痛い目に遭わないと(笑)、なかなか実践できないし、
気を抜くと、すぐに忘れていつもの自分に戻ってしまうのが私なので、
体験もしながら実践もしながら、
こうして時々復習の講座も受けながら、身に着けていく。
自分のご機嫌を保つために、
「外で」、不安を解消してくることがどれだけ大切か。
「不安は家庭に持ち込まない」でいようと思った。
私はもともと、半分が男で、半分が女のようなところがある。
前回、「陰陽講座」を聴いたときにも、
講座の内容の男女の定義が、半分は当てはまって、半分は当てはまらないような気がして、
自分には適用が難しいと感じていた。
なんとも言えない居心地の悪さがあった。
だが、これは時と相手によって、うまいこと使い分ければいいのだと知って、
合点がいった。
女になる場所と、男になる場所を、自分で意識的に使い分ければいいのだと。
女になった方がいいから、
男っぽい感覚の部分を失くした方がいいのか・・と思っても、
女脳に偏ると、男脳を使いたくなるし、
男脳に偏ると、女脳を使いたくなるんだよね。
でも、どちらかに統一しなければならないわけではなく、
両方をうまい具合に理解していくということ。
例えば、
「目先の心地よさを追求する」のが女で、
「将来の達成を追求する」のが男なら、
「将来の達成を追求する」女は、NGなのかというと、そうではなく、
「将来の達成を追求する」ということが「心地よい」のだから、
将来の達成を追求すればいいんじゃない。と。
あくまでも、女は、自分の心地よさを追求すればよいと。
そして、相手と場所によって、使い分ける、と。
こうして復習した直後は、
しっかり実践できそうな気がする(*'ω'*)。
「ご機嫌で沈黙。」
「心地よさを追求。」
さっそく、前日に発生した心配事を、
この日、この場で発散できたので(*'ω'*)、
今日は家庭に不安を持ち込まないことに、成功したかも(^ω^)。
少し前まで、ノーテンキに、「楽しかった!うれしかった!ヽ(´▽`)/」
を連呼するだけの妻(笑)をやっていたのだけれども、
それでよかったのだな(*'ω'*)。
そして、日々を「ありがとう」で埋め尽くす、ということ。