ここ1~2年で、
自分がものすごく変わった気がする。
特にこの数ヶ月で、ぐんっと見方が変わったと感じて、
何が違うのかな?と思ったら、
いろんなことが、
「怖くなくなってきた」
これなのかも。と思った。
怖くないから、
安心していられる。
信頼していられる。
ありのままで、大丈夫って思える。
以前は、いろんなことが、怖かった。
本当に怖かった。
お金が減ること。
健康が害されること。
低い評価をされること。
嫌われること。
それらが、
実は、頑張らなくても、もがかなくても、
全部既に、私の手の中には有って、
お金は大丈夫だし。
健康も大丈夫だし。
人の評価って、どうでもいいし。
嫌うかどうかって、その人の問題だし。
と、以前よりあまり、怖くなくなってきた気がする。
心屋の「前者後者論」と、シャーリーマクレーンの本とで、
「役割」・「意味」というのが、
すとんと腑に落ちて、
もう、
「できる・できない」、が、「人間の価値」とは関係無い、
というのが腑に落ちて、
ありのまま、
どれもが、大丈夫で、意味のあることなんだ、
って、思えるような気がする。
欲張って、人の「役割」まで
私が取らなくても(笑)、
私には私の役割がある^^。
私が、今の職業に巡り会えたのも、
天命だった気がする。
意図していたわけではないけれど、
なんや知らんけれど偶然巡り会えた職。
おかげで色んな人の人生を見せてもらってきた。
それこそ、人生一大の不幸のような事柄が起きた人が、
集まってくる仕事。
でも、みんな、そんな状況でも、「生きている」。
起ったら起ったで、どうにかして、次、生きていけるんだ。
だから、
どんな人生が巡ってきても、「大丈夫」。
今は、そんな風に見える。
それを、知るために、
私は、この職業に引き寄せてもらったのかもしれない。
たくさんの、訳の分からない怖いことを、
もし起っても、大丈夫っていう実例を知るために、
私は、この職に、巡り合わせてもらったのかもしれない。
全てに意味があって、
全てが偶然のようであって、
実は必然であり。
一番怖いことの究極は、
きっと、
「死」で、
まだ、そこまでは怖くない、とは言えないかもしれないけれど、
なんとなく、
それさえも、「ありのまま」って思えそうになっていきそうな気がしている。
私が高校生の頃、
最愛の父が大病をし、
命がどうなるか、となったとき、
父自身は、取り乱すことなく、
運命に、逆らわず、
ありのままを受け入れようとしていたように見えた。
そのときの父の仏っぷり(笑)に、
私はかなり驚いたのだが、
もしかしたら、父には、
「ありのまま」を受け止めて生きる、という生き方が、
当時から、自然に、できていたのかもしれない。
何が起っても、あまり、動揺しない人だ。
人は、生きていける。
そして、
死をも、
死後も、大丈夫。意味がある、のかもなぁ~。
そんな感じでふわ~ふわ~と。
あ・それから、
自分を、とてもとても大切にできるようになってきた気がするなぁ。
そして、やっていることは、
どれも、やりたくてやっている、っていう自覚がある。
今までは、かなり人目を気にしていた。
なんか、今は、そんなのどうでもいい気がする(笑)。
私、変わり者ですが何か?(^0^)
って(笑)。
変わり者の友達が、いっぱいできたからかもな~(笑)。
変わり者じゃない人って、居ないかも、って
逆に思ったりもする。
フツーって何?(笑)って。誰のこと?って。
私は、自分の中に入れたくないものは入れない。
私が、自分の中に入れたいものだけを入れる。
食べ物も。価値観も。
それが、自分をとても大切にすることであり、
周りを大切にすることだと、
分かったから(^-^)。
自分がものすごく変わった気がする。
特にこの数ヶ月で、ぐんっと見方が変わったと感じて、
何が違うのかな?と思ったら、
いろんなことが、
「怖くなくなってきた」
これなのかも。と思った。
怖くないから、
安心していられる。
信頼していられる。
ありのままで、大丈夫って思える。
以前は、いろんなことが、怖かった。
本当に怖かった。
お金が減ること。
健康が害されること。
低い評価をされること。
嫌われること。
それらが、
実は、頑張らなくても、もがかなくても、
全部既に、私の手の中には有って、
お金は大丈夫だし。
健康も大丈夫だし。
人の評価って、どうでもいいし。
嫌うかどうかって、その人の問題だし。
と、以前よりあまり、怖くなくなってきた気がする。
心屋の「前者後者論」と、シャーリーマクレーンの本とで、
「役割」・「意味」というのが、
すとんと腑に落ちて、
もう、
「できる・できない」、が、「人間の価値」とは関係無い、
というのが腑に落ちて、
ありのまま、
どれもが、大丈夫で、意味のあることなんだ、
って、思えるような気がする。
欲張って、人の「役割」まで
私が取らなくても(笑)、
私には私の役割がある^^。
私が、今の職業に巡り会えたのも、
天命だった気がする。
意図していたわけではないけれど、
なんや知らんけれど偶然巡り会えた職。
おかげで色んな人の人生を見せてもらってきた。
それこそ、人生一大の不幸のような事柄が起きた人が、
集まってくる仕事。
でも、みんな、そんな状況でも、「生きている」。
起ったら起ったで、どうにかして、次、生きていけるんだ。
だから、
どんな人生が巡ってきても、「大丈夫」。
今は、そんな風に見える。
それを、知るために、
私は、この職業に引き寄せてもらったのかもしれない。
たくさんの、訳の分からない怖いことを、
もし起っても、大丈夫っていう実例を知るために、
私は、この職に、巡り合わせてもらったのかもしれない。
全てに意味があって、
全てが偶然のようであって、
実は必然であり。
一番怖いことの究極は、
きっと、
「死」で、
まだ、そこまでは怖くない、とは言えないかもしれないけれど、
なんとなく、
それさえも、「ありのまま」って思えそうになっていきそうな気がしている。
私が高校生の頃、
最愛の父が大病をし、
命がどうなるか、となったとき、
父自身は、取り乱すことなく、
運命に、逆らわず、
ありのままを受け入れようとしていたように見えた。
そのときの父の仏っぷり(笑)に、
私はかなり驚いたのだが、
もしかしたら、父には、
「ありのまま」を受け止めて生きる、という生き方が、
当時から、自然に、できていたのかもしれない。
何が起っても、あまり、動揺しない人だ。
人は、生きていける。
そして、
死をも、
死後も、大丈夫。意味がある、のかもなぁ~。
そんな感じでふわ~ふわ~と。
あ・それから、
自分を、とてもとても大切にできるようになってきた気がするなぁ。
そして、やっていることは、
どれも、やりたくてやっている、っていう自覚がある。
今までは、かなり人目を気にしていた。
なんか、今は、そんなのどうでもいい気がする(笑)。
私、変わり者ですが何か?(^0^)
って(笑)。
変わり者の友達が、いっぱいできたからかもな~(笑)。
変わり者じゃない人って、居ないかも、って
逆に思ったりもする。
フツーって何?(笑)って。誰のこと?って。
私は、自分の中に入れたくないものは入れない。
私が、自分の中に入れたいものだけを入れる。
食べ物も。価値観も。
それが、自分をとても大切にすることであり、
周りを大切にすることだと、
分かったから(^-^)。