以前、他の心理学の講座を受けていたときの話。
例えば、子が、
「母ちゃん、水!」って言ったとしたら、
「おかあさま、お水をくださいます?」って言ったっていう風に、
脳内変換している^^、っていう風な話をしたら、
それは、子が思春期のときに使う方法だから、
あなたは、まだ使わない方がいい、と言われて、
えー!!!(><)と思ったのを思い出した。
自分のやり方を否定されたように感じて、
ショックだったのを思い出した。
私は更にこれを、
脳内変換して、
「こういう方法もあって、私は、思春期に使うものだと
思っておりますのよオホホホホ」
にして(笑)、
その方は、その方のやり方を「提示」しただけなのだと思おう!(笑)。
そして、
私は、自分は、
「やり方が違う人のやり方を見ても、
いちいち指摘しない」という役割。
そっちの役割を選ぶ人で居ようと思った。
「方向修正する役割の人」、も必要かもしれないけど、
「そうでない人」が居てもいいと思う。
私は、自分の役割は、教師係ではないと思うので、
見守っている人で居たいと思う。
どちらも役割。
自分に見合った役割を選んだらいいと思う。
って、ここまで書いて、
関係性、というか、
私の当時の「受け取りたくない度合い」が垣間見えて
オモロイな~と、自分でも思った。( ´艸`)
この頃の私も、
人に教えるのも好みではないけれども、
人に教えられるのも好みではなかったんだなぁ。
思春期やなぁ(≧w≦)
って思った。
何を言われても、否定されているように
感じていたのかもしれないなぁ~。
知りたいことは、自分から知りに行きたい。
教わりたくない。否定されたくない。
のカタマリやったなぁ(≧w≦)。
絶対的な答えは無いのだから、
どちらでもええんやけど、
こういう方法もあって、効果的だよ~。
って、
提示してくれていたんやなぁ。
そして、
相手の、「こうしないと、こうなってしまうよ!!」っていう言葉に、
恐れが混じっていたとしたら、
それは、発言者の恐れであって、
その人が、自分の中の恐れと戦っている、
その様子を見せてくれているだけ、ということ。
私は、ただ、そうなんやな~って、見守っていれば
いいのやも~って思った(^-^)。
取り入れるか取り入れないかは、その次の話。
いろんな集まりがあって、
どこも向上していて、愛があって。
その中でも、愛の提示の方法が、
自分の好みと違うところもある。
自分は、自分が居心地の良いと感じるところに
行く。
それだけで、ええのやもしれんなぁ~。
好ましいに注目、と、同じで、
好みのところに身をゆだねていたら、自分は、自然に、
好みのところに吸い込まれて行くのだから、
そっちに夢中になっていれば、いいのかもなぁ(^-^)。
なんや今思うと、
簡単なことのようにも思えるんだけれども、
当時、そのときは、
めっちゃモヤモヤして、なんやねん!!って思っていた気がする(≧w≦)。
おもろいなぁ~。
そして、相手との関係性の「前提」によって、
受け取るもの全てが、愛、になるか、
受け取るもの全てが、否定、になるか、
もう全く違ってくる、っていうのもよく分かるなぁ(*'▽')。
これも脳内変換の一つやね~。
受け取る人が満たされていたら、
何を受け取っても、愛になるんだもんね~ヽ(´▽`)/