自分の言葉が生モノで、
アウトプットしたその次の瞬間から、
過去のモノになるのと同じように、
人が吐いた言葉も、
「唯一無二の固定したもの」だなんて、
思わなくてもいいんだよね(*'▽')。
同じように、「生モノ」。
あのとき、あの人が言った、
あの言葉。
聞いた瞬間に、私が受け取った受け取り方は、
私が、受け取りたいように受け取った受け取り方なのであって、
そもそも、それがアウトプットされた最初の瞬間からして、
本人が吐いた意図と、完全には一致しない。
どんなに近づいたとしても、
同じモノには成り得ない。
ましてや、自分が解釈したいように解釈した形のもので あるから、
受け取った側が、
あの人はこう言ったから、と、大切に抱えているその言葉の中には、
もう、その言葉を吐いた本人は、
居ないのかもしれないね。
だから、この人はこう言ったから、
だとか、
この人はこう思っているはずだから、
って、
自分で自分を縛りつけていたら、
言葉を吐いた当人は、
全くそんなこと思っていなかったり、
言ったことさえ忘れていたりで、
受け手が一人勝手に、
全然違うことにとらわれていたということもあるかもね( ̄▽ ̄)。
相手が自分を縛り付けた!って思っているけれど、
相手自身はそんなつもりは全く無くて、
結局、やっぱり、
自分が自分を縛り付けているというだけのこと。
自 分で縛られに、自分を持って行っているだけのこと。
自分が自分を縛らない限り、
誰も、自分を縛ることなどできないんだなぁ。
自分の吐いた言葉が生モノで、
吐いた次の瞬間から、過去のモノになって、
その内容はもしかしたら間違っていたかもしれないけれど、
それも当然のことで、
吐いた瞬間から、人は、また新たに向上し、成長している、
とか思って見ると、
人が吐いた一瞬の言葉にも、
とらわれることなく、
おおらかに、聴けるし、聞き流せるし、
見守れる
そんな気がしてくるなぁ~(^-^)。