自分の気持ちを、自分で確認するために、
物事って起こるのかもなぁ(^-^)。
自分では、自分の本当の気持ち、
気付きにくかったりするもんね。
昨日見た記事で、
小さい子を抱えたお母さんが、
自分のやりたいことをやりたい!
好きを仕事にしたい!と思って、
起業塾、みたいなところに行ったという話があった。
そこで得たものは、
起業することではなく、
今は、子どもと一緒に居たい、ということに気付くことだった、
という内容。
そのきっかけとなったのが、
子どもが、目を離した隙に一人で家を出て、
迷子になったという話。
そうなんだなぁ~。って思った。
このお母さんは、本当は今まだ起業をしたいわけじゃない、
そのことに、気付くために、
この出来事を、使ったのかもな、って思った(^-^)。
迷子になった子どもを発見したとき、
お母さんがお子さんにかけた言葉は、
「ごめんね」だったという。
たぶん、
本当に起業したいお母さんだったら、
子どもが迷子になったとき、
出てくる言葉は「ごめんね」じゃなかったかもなぁって思った(^^)。
コトが起った後、
次何するか、何行動するか、
考えて動くだけだもん。
もし、「ごめんね」の言葉に、罪悪感が含まれているのであったら、
それは、お母さんが罪悪感を、今、感じたかった、
そういう出来事を、そういう風に解釈したかった、
その本音が自分の中に見えた、
というだけなのかもなぁ、って思った(*'▽')。
いい悪いじゃなくて、
自分を知るきっかけ。
としてね(^-^)。
やりたいことが前提にあったら、
それに付随して起る出来事って、
自分でいかようにも、操作できる。
というか、操作、「する」。
だから、起る出来事と、それに付随する自分の感情と行為は、
自分に、
「あなたは今、こう望んでいますよ」
って、教えてくれるものなのかなぁって思う。
良い悪いじゃなくて、
そんな、自分の気持ちに、気付きたかった。
のかもなぁ。って思った。
お子さんの行動は、
もしかしたら、
お母さんを困らせてやろう!とか、
もっと僕を見て!っていうSOSなのかもしれないし、
反対に、
ちょっと冒険してみようかな!
広い世界を、見に行ってみようかな!だったり、
ただ単に、好奇心が強くて、思うがままに、
どこかへ行ってみたくなっただけかもしれない(^-^)。
それはどうだか分からないけれど、
そこに罪悪感を持ってくる持ってこないも、
その人が自らやっていることなのかもしれないね(*'▽')。
それぞれの個の中で、
それぞれが起こしているドラマ。
外に出て、セミナーを受けたり、
そうでなくても、人と出会ったり、
何か物事が起こったり、
その度に、
人は、自分の本当の気持ちを確認するチャンスに
恵まれるのかもね。
というか、
自分を確認するために、
物事が起こるのかな。
どっちが鶏でどっちが卵か分からないけれど(笑)、
どっちでもいい。
そして、出来事も、セミナーも、
こういう趣旨のものだから、
こういう方向に自分を持っていかなければならないわけでは全然なくて、
全ては、
自分に気づく「きっかけ」だから、
起業塾に行って、起業しない!ってことを得ても、
たとえば、
楽しむために行った旅行で、どんだ災難に遭ったとしても(爆)、
何をどこで得るのも、
正解
なんだろうな~(^-^)。
自分が導かれたいと思っている方向に、
出来事が、導いてくれる。
だから、どれも、正解、なのかもな、
と、私は思った(^-^)。