集団でのキャンプって、
人生の縮図だなぁ~って、いつも思う(^-^)。
敢えて、日常の便利なところから離れ、
不便な所に身を置いて、
寝食をたくさんの人たちと共にする。
すると自ずと、いつもは発生しない
「迷惑をかけたり」、
「迷惑をかけられたり」、
ということがたくさん発生する。
それを、発生するたびに
申し訳なく思いすぎたり、
イライラしすぎたり、
していたら、
その場にいるのが不快になってきて、
だんだんこういうのに足が遠のき、
参加したくなくなってくることもあるかもしれない。
「迷惑をかけたり」
「迷惑をかけられたり」
が
当たり前で、
「迷惑をかける側」になるのも、
「迷惑をかけられる側」になるのも、
苦に感じなくなったとき、
集団生活が楽しめるし、集団キャンプも楽しめるし、
それは、
人生における集団生活も楽しめることと同じような気がした。
だって、生まれてから、
人に迷惑をかけずに生きることなんて不可能だし、
人に迷惑をかけられずに生きることもきっと不可能。
迷惑を迷惑だと感じないくらいに、
「お互い様」の精神でいられたら、
人生も、
集団キャンプと同じで、
めっちゃ楽しいものに見えてくるものだろうな、って思った。
そして、そこの常連メンバーの中でよく見る光景は、
皆、「あまり我慢しない」ということヽ(´▽`)/。
不快に感じたこと、迷惑をかけられたこと、イラっとしたことさえも、
我慢せずに、その場でさらっと言っちゃう!
さらっと早く言っちゃえば言っちゃうほど、
後を引かないし、ネチネチしない(笑)。
言われた側も、「あ!知らんかったわ!悪かったね(≧w≦)!
教えてくれてありがとう!」
そんな感じの一言で終わり。
迷惑をかけるときも、
迷惑をかけられるときも、
お互いが、そんな感じでさらっと居られたら、
不満を伝えずに抱えたままイライラしたり、
不満を伝えられて根に持ったり(笑)、
そんなことがあまり発生せずに、
自分が迷惑を感じたときも、
迷惑をかけたときも、
深く悩まずにその場を経過できる。楽しめる(^-^)。
イラっとすることや、怒るってこと、もはや悪いことではなくて(笑)、
そのままバーバー出しちゃって、
出した方も、出された方も、あっけらかんと、
していられる、そんな感じ(^-^)。
根に持ったり気になったりするタイプは、きっと自然とフェードアウトし、
根に持たないあっけらかんタイプが残って、ますます
あっけらかんだらけになる(笑)、と、こんな構図なのかな(^-^)。
そして、
そこで流れている一定の時間。
その時間を、
楽しいものにするか、つまらないものにするか、
責任は自分にあって、
自分がどうとでも決めることができる。
人が楽しませてくれるんじゃない。
人生も、自分が自分で自分をいかに楽しませるか、
いかに、自分が楽しむか。
誰かが楽しませてくるのを、待っていても、
誰も楽しませてくれないよ。
楽しみに行くのは、自分自身だよ。
何も無い島でキャンプをしていると、いつもそんな風に感じる(^-^)。
大人も子どもも、常に自分が主体。
自分の時間を、周りとバランスをとりながら、
どうマネジメントしていくか。
個々が自然にやっていること。
同じキャンプに参加しても、
きっと全員が、違う思いを抱き、
違う感覚を胸にしているんだろうな。
満点の星空と、
朝の、大量のウグイスと小鳥たちのさえずり、
透き通った海。
キャンプは、
自然からの恩恵だけでなく、
人間模様の学習の場、体験の場であり、
自分の心持ちの再確認の場でもあるんだなぁ。
島の入り口に、「人生の意味を知る島」っていう風なことが
書いて有るんだけれども、
まさに、本当、毎回、何かしら浮かんでくる。
非日常を体験する意味って、大きいんだなぁと思う(^-^)。
普段、食洗機でしか鍋も食器も洗わない自分が(笑)、
手でひとつずつ鍋や食器をゴシゴシ洗いながら、
「なにやってんだろう~(^-^)」って思いながら、
便利と効率から離れたところに、
時間とお金をかけてわざわざ行く。
効率や、
損や得
そんなものを超えた何かがあると感じられるから、
毎回、行っては何かを感じ取り、持って帰っては、
また、
何かを感じ取り、持って帰る、
というのを繰り返しているのだと思う(^-^)。
こんな風な体験をすることに、
時間を費やしてもいいし、
他の場所で、人生の学びを体験してもいい。
どこに行って何をしても、
きっと、人は、
そこで何かしらの学びを常に得ている。
おうちでお留守番した者は、
留守番したことで、何か感じるものがあっただろうし、
得るものもあっただろう(^-^)。
自分が決める、自分の人生の時間の使い方。
今回も、楽しかった!