自分も、「不安」を使わないと動けなかったもんなぁ。
なにかをする原動力には、
「不安」を使うのが、とっても手っ取り早かったし、
莫大なエネルギーも生まれた。
「不安」って、行動の根拠としては、とっても役に立つんだよね。
だから、
究極を言うと、
不安が無くなると、することが、無くなってしまうように感じることもあるのかもね。
もしかしたら、
何かをやりたいとき、
エネルギーが欲しいとき、
敢えて「不安」を持ってくるっていう方法も、あるのかもしれないな。
「不安」を持ってきてまでやりたいことって、
本当は、
「不安だから」でなくても、「本当はやりたいこと」だったのかもしれない。
『本当は最初からやりたかったこと』
なんだけれども、
それをやる口実として、
それをやるエネルギーとして、
「不安」を持ってきて、わざわざ口実作っていたということに、
自分が気づいていなかっただけなのかもしれない。
それあなた、実は自分がやりたいことだったんだよ!って
気づいたとき、
大いに笑えるんだけれども、
これを知ると、
何かに追われながら何かをやっている人を見ても、
あたたかく、見守っていられるかもな。
やりたい原動力として「不安」を利用しているだけなんだ、って思えるから。
「不安」って、悪者じゃないのかもしれないな。
ワクワクを利用しても、
不安を利用しても、
どっちを利用しても、根っこをたどると、
やりたいことは一つだったのかもしれない。
どっちを利用したいか、
どっちを利用した方が、
自分が動きやすいか、
無意識のうちに自分が判断して、
選んでいただけ。