私が自分でも、ぐぐんっと変化を感じるのが、
STEPの後のおしゃべり会。
そうそう。
乗れなかった自転車が、ある日突然すっと乗れるようになった瞬間だとか、
そういうのに似ている気がする。
終わった後、帰りのJRの中で、
突然、ひらめく。
突然、浮かぶ。
突然、気づく。、
その日の夜、翌日、しばらくの間、気づきの嵐が訪れる。
めちゃ爽快ヽ(´▽`)/。
私は、テキストの内容をここで実践してもらえているって感じなのかも。
「STEP的な育て方をしてもらった子」、を、疑似体験。
信頼と尊敬を、まさに実地で体験する場。
人を、信頼、尊重できるようになるためには、
まず、
人に、信頼、尊重してもらう体験をするのが一番なのかもな^^。
昔は、人に何を聞かれても、責められていると感じていた気がする(笑)。
だから、質問されるのが、嫌だった。怖かった。
質問されている時点で、「私の選択が何かおかしいから質問されている」
ってな風に感じていた。
ここに通っていると、
どんな自分も、今の私であり、
今、感じているコレは、私が感じている紛れもない事実であり、
誰にも犯すことのできない、
唯一無二の感情であり、体験であり、感覚である、
という自信があって、
恐れが無くなった。
人と違うこともあまり、怖くなくなった気がする。
自分の感覚が、自分という存在が、尊重されている、という感覚がある。
それは、自分が自分の感覚を尊重し始めたからなのかもしれないし、
感覚を尊重してもらえる体験を、ここでコツコツ積み重ねたからなのかもしれないし、
いや、今までもいろんな人から尊重されていたのかもしれないけれど、
自分が自分を尊重していなかったから、
人にも尊重されていない、と感じていたのかもしれないな。
「質問」は、質問者のためにあるものではなく、
「質問された人」のためにあるものかもな。
「質問された人」自身が、自分のことを知るため。
答えながら、自分の気持ちに気づいていくため。
だから、
「質問された人」は、答えたくなければ答えたくないし、
「質問した人」が聞きたい内容に、協力したかったら
協力してもいいし(^-^)。
「今は、私はこう感じている」。
でも次会ったときにはもう撤回しているかもしれない、
いや、次の瞬間から、もう変わっているかもしれない。
でも、
今、感じているこれは、
今の本当の気持ちであるという事実。
尊い、尊い、感覚だという事実。
何も偽る必要がない。
何も隠す必要がない。
何も、ごまかす必要がない。
ボロを隠して、
良いように見せる必要もない。
だって最初っから、
ボロなんかじゃないし、
背伸びして、よいように見せようとしなくても、
素晴らしくて、これ以上無いくらいもう既に、
頂点だから。
今、たとえモヤモヤを感じているとしても、
くやしさを感じているとしても、
そのモヤモヤも、くやしさも、
同じように、大切な大切な、感覚だから。
堂々と、出していいんだ。
どれも間違えじゃない。
今を生きる、
ライブ感覚で生きる。
今まで感じていなかった、
そんな感覚がある。
これを、自分が自分で自分にごまかしていたから、
苦しかったのかもな^^。
STEPの後のおしゃべり会。
そうそう。
乗れなかった自転車が、ある日突然すっと乗れるようになった瞬間だとか、
そういうのに似ている気がする。
終わった後、帰りのJRの中で、
突然、ひらめく。
突然、浮かぶ。
突然、気づく。、
その日の夜、翌日、しばらくの間、気づきの嵐が訪れる。
めちゃ爽快ヽ(´▽`)/。
私は、テキストの内容をここで実践してもらえているって感じなのかも。
「STEP的な育て方をしてもらった子」、を、疑似体験。
信頼と尊敬を、まさに実地で体験する場。
人を、信頼、尊重できるようになるためには、
まず、
人に、信頼、尊重してもらう体験をするのが一番なのかもな^^。
昔は、人に何を聞かれても、責められていると感じていた気がする(笑)。
だから、質問されるのが、嫌だった。怖かった。
質問されている時点で、「私の選択が何かおかしいから質問されている」
ってな風に感じていた。
ここに通っていると、
どんな自分も、今の私であり、
今、感じているコレは、私が感じている紛れもない事実であり、
誰にも犯すことのできない、
唯一無二の感情であり、体験であり、感覚である、
という自信があって、
恐れが無くなった。
人と違うこともあまり、怖くなくなった気がする。
自分の感覚が、自分という存在が、尊重されている、という感覚がある。
それは、自分が自分の感覚を尊重し始めたからなのかもしれないし、
感覚を尊重してもらえる体験を、ここでコツコツ積み重ねたからなのかもしれないし、
いや、今までもいろんな人から尊重されていたのかもしれないけれど、
自分が自分を尊重していなかったから、
人にも尊重されていない、と感じていたのかもしれないな。
「質問」は、質問者のためにあるものではなく、
「質問された人」のためにあるものかもな。
「質問された人」自身が、自分のことを知るため。
答えながら、自分の気持ちに気づいていくため。
だから、
「質問された人」は、答えたくなければ答えたくないし、
「質問した人」が聞きたい内容に、協力したかったら
協力してもいいし(^-^)。
「今は、私はこう感じている」。
でも次会ったときにはもう撤回しているかもしれない、
いや、次の瞬間から、もう変わっているかもしれない。
でも、
今、感じているこれは、
今の本当の気持ちであるという事実。
尊い、尊い、感覚だという事実。
何も偽る必要がない。
何も隠す必要がない。
何も、ごまかす必要がない。
ボロを隠して、
良いように見せる必要もない。
だって最初っから、
ボロなんかじゃないし、
背伸びして、よいように見せようとしなくても、
素晴らしくて、これ以上無いくらいもう既に、
頂点だから。
今、たとえモヤモヤを感じているとしても、
くやしさを感じているとしても、
そのモヤモヤも、くやしさも、
同じように、大切な大切な、感覚だから。
堂々と、出していいんだ。
どれも間違えじゃない。
今を生きる、
ライブ感覚で生きる。
今まで感じていなかった、
そんな感覚がある。
これを、自分が自分で自分にごまかしていたから、
苦しかったのかもな^^。
今回のおしゃべり会では、そんなことを感じた。