”独裁者→思い通りになる
民主的→思い通りにはならない”
この前のSTEP/TEENのときに聴いた言葉。
私たちは、
「思い通りにならなくても」受け入れられる柔軟性を
学んでいるのかもなぁ。
自分の価値観は尊重しつつ、
相手も尊重する。
たとえ思い通りにならなくても、
「信じられる」から、
思い通りにならなくても大丈夫になるんだろうね(^-^)。
そもそも、思い通りにしようという発想が無くなる、っていう感覚なのかもしれない。
* * *
「思い通り」で思い出したのだけれども、
どこの「教え」も、
「教祖が居て、
その人にお免状をもらう」という形のところは、
「正しい」「正しくない」が存在し、
それと同時に、
生徒の出来不出来の優劣が生まれるものなのかもしれないなぁ。
これはもう、しょうがないことなのかもしれないなぁ。
心屋さんやまっちゃんのように、
どれもOK!ってところは、珍しいのかもしれないなぁ。
そもそも、
何かを「教える」という時点で、
「正解」「不正解」があるってことだもんね。
方向性を定める必要があるところには、
「正」と「誤」が生じるわな。
だから、しょうがないのかもしれないな。
そういう存在もあり、
そうでない存在もある。
それら両方をも全部大きく含め、
世の中は、みんな正しいってことなのかもな^^。