思春期の頃、自分が握りしめていた価値観。
私の「胸の大きさ(笑)」の爆笑話のように、↓
後になってみると笑えることって
きっとたくさんあるけれど、
これも同じなのかな。
思春期の頃。
「どこの学校に行くか」っていうのは、
私にとって、
私の人間の価値を証明するもののように思えて(←こればっかやな(笑))、
とても重要だった。
それが、別にそれを重要だと思っていない人にとっては、
どうでもいいことであって。
どこの学校に行こうが、行ったところで楽しい人生を自分が選択していくだけのこと。
それよりも、
「今、食洗機の中に入れる食器の並べ方」
そのほうが重要だ!!
とか言っている価値観の人も、この世の中には居るんだね!!(笑)。
それを聴いたとき、
固まったね~。
は?
ってなったね~。
私が何年もかけてこだわっていた、
大切な大切な縛りって、何だったんだろう・・って。
よく分からないけれど、
その人にとっては、
自分の価値を、
どこの学校に行ったかなんかで証明する必要なんてなく、
当たり前に当然にみんな価値がある存在なのだから、
そんなの考える必要が最初っからなくて、
考えもしない。
そんなどうでもいいことよりも(笑)、
目の前の食洗機に、
どうやったら均等にお皿に水が当たるか、
いかに工夫してお皿を入れるか、
その方がずっとずっと大事だと。
だから、食洗機に無造作にお皿が入れてあると、
それはそれは、
とてもお怒りになられる(笑)。
その怒りの意味が、私には全く分からなかったけれど、
こうしてみると、それはきっと、
合格を目指して何年もものすごい努力をしたにもかかわらず、
志望校に受からずにショックを受けた学生に
匹敵するものだったのかもしれない。
食洗機にぐちゃぐちゃにお皿が入れてあると、
ものすごい悶絶するのかもしれん(笑)。
人の価値観って、分からんもんやね~(≧w≦)。
でも、これを聴いて、
自分が握りしめていた価値観が、
あぁそうか、これも、別に、
そんなに重要なことではないかもな、と思えた。
それぞれの役割があって、
それぞれの人生を歩んでいるだけのこと。
そこに、優劣も上下も、すごいもすごくないも、
無い。
一生懸命、すごいんだぞ!って証明しようとしなくても、
もう、誰もが価値はある。
ただ、毎日を、選択し、楽しんでいく。
その連続があるだけ。
なのかもな。
子が、妖怪ウオッチのゲームで、
閻魔大王を取ることが、
なにやらよう分からんけれど、
ものすごいことで、それに全てを捧げるかのごとく(笑)
必死なのが、
私にはよく分からん世界(笑)なのと同じように、
他人の価値観は、他人にはよう分からんものであるけれど、
その当人にとっては、
必死で。
めちゃくちゃ必死で。
でもそこに価値をおいていない人から見ると、
どーーーーーでもええ世界(≧w≦)。
縛られていたのは、何やったんじゃろか・・
な世界なんやな~^^。