心理学の勉強を始めた人は、
誰もが通る道なのかなぁ。
通らない人も居るのかなぁ。
よくわからないけれど、
心理学を学び始めたばかりの頃、
私は、「これで正解を知った!」と思って、
「正解以外のものは、間違っている」っていう風に思う時期があった。
心理学で言っているのと同じようにやっている人
に対してはすごい!って思って、
真逆の方法をやっている人に対しては、
どこか憐れんでいた。
でもよく見たら、
心理学のテキストには、「ありのまま」とかいう風にも書いてある。
「こうしたらいいよ、こう変えたらいいよ」って書いてあるのに、「ありのまま、変えなくていいよ」っていうのは、
どういうこと!?!?矛盾していないかい!?!?
って、ずっと思っていた。
「ありのまま」っていうのは、
心理学の通りにできないのも、「ありのまま」ってこと。
ということに、だんだん気が付き始めた。
そして、数年学んでいるうちに、
どれもが大丈夫で、
何を選択するのも意味があって、
結局、どの選択も、
その人の今の「好み」であって、
良いでも悪いでも正解でも不正解でもない。
って、感じるようになってきた。
これが将来、自分の中での解釈は、
また違った風に変わってくるかもしれないけれど、
今、私はそんな風に感じている。
「正解や不正解が有る」と思うのも、意味があるし、
「正解や不正解が無い」と思うのも、意味がある。
その人の自分が居る段階で、
一番自分が受け取りたいものを、
自分が受け取っている。
それがその時の自分のベストだから。
そして、ステージが変わったとき、
自然にまたそれは変わっていくし、手放せる。
その繰り返しなのかもな。
だから、どれもが大丈夫。
私の言っているコレ、大間違いかもしれないし、
また、私の目の前に、大間違いをしているように見える人が、
目の前に現れるかもしれないけれど、
それも、これも、全部、
大丈夫!
物事はどれもが、「なるようになる」ように、できている。
もし、巻き込まれたなら、
巻き込まれるように、なっていたということ。
それも意味がある。
どこまで行っても意味がある。
そういうことなのかもなぁ、と、
今は理解している。
正解は無いから、
「ありのまま」でいいのだから、
できなくても大丈夫。
そして、「できなくて大丈夫じゃない」って思うのも、
「できなくてしんどい」って思うのも、
それも大丈夫。OK。
それも、必要な過程。
時期が来たら、自然に、また移ろっていく。
そんな風に、今、私は感じている(^-^)。