弁護士の仕事は、
ジャッジすることではない。
「味方」でいることなんだなぁ。
と改めて思った。
私は弁護士ではないけれど、
改めて、「味方」が居るということは
どういうことなのか、ふと思った。
人の話を聴くとき、
「裁判官」でも「心理学者」でもある必要はない。
ただただ、目の前の人の「味方」でいること。
物事に、本当は「正義」も「悪」も、
「良い」も「悪い」も、
「正しい」も「正しくない」もないと思うのならば、
ジャッジするのは他の人に任せて、
自分の役割は、ただ、
目の前の人の「味方」でいることだけで、
いいのかもしれないなぁ(^-^)。
みんな、「能力」があって、
生きていく力があって、
学ぶ力がある。
「テキスト通り」でなくっても、
どこかの「正解の通り」でなくっても、
自分が選びたい道を選んで、
切り開く能力が有る。
だから、人が、どんな路を選んでいても、
それを、無条件で、
味方して、いいのかもしれないなぁ。
味方をすることができなくて、そわそわしていたら、
それは、
相手の問題ではなく、
自分の中の不安のモトに引っかかっているというだけで、
相手自身は、本当は大丈夫なんだね(^-^)。
あんまり意識したことが無かったけれど、
この職業の深さを、
改めて感じる。
無条件で味方をしてくれる職業。
その補助をさせてもらえるということに、
改めて、感動した。
弁護士という職業の根本にあるのは、「性善説」なのかもな^^。
大丈夫だから、味方をしても、いい。
「聴く」ときに、
諭したり、教えたり、してもいいけれど
別にしなくても、いい。
だって大丈夫だから(^-^)。
私は、味方でありたい(^-^)。