自分が気になっていることで、
別に、相手が気になっていないことについては、
最初の1~2回は、相手に伝えてもいいけれど、
それ以降は、何度伝えても、同じなのかもしれないな^^。
だって、相手からすれば、
「気にならないこと」なんだから。
例えば掃除であったり、
ファイルの背表紙に題名を書くことであったり(≧w≦)。
自分は気になるけれど、
気にならない人には気にならないし、
気にならない人には、そもそも最初から必要のないこと。
だから、悪気がなくても忘れたり、
気がつかなかったりする。
その人は、気にしなくても何も困っていないのだから。
それを責めたところで、
気にならないから気がつかないだけで、
気にならないから忘れるだけで、
気にしろと言っても気にならないものは気にならないし、
困りもしないのだから、
相手を変えようとせずに、
気になる自分の方が工夫をすればいいのかも。
ファイルの背表紙に題名を書かないと、
次にファイルを探すときに不便だ、と、
感じるのが自分だけなのならば、
自分が書けばいい。
書かない人は、書かなくても困っていない。
次探すときに、
いちいち中身を開いて探すけれど、
それを億劫に思っていないか、
困っていないか、
どちらにしても、「気にならない」のだから、
次もやらないし、
「困った!」と自分が思うまでは、
思い出さないし気がつかない。
だから、気になる方の人が、
自分が快適に生きるためにはどうしたらいいかを
粛々と考えて実行するだけ。
気にならない人の方を、
気になるように「変える」ことって、
至難の業。
こちらが、何か、工夫すればいい。
そしてたぶん、
同じように、
自分が気になっていないことで、
相手が気になっていることって、きっとあるのだろう。
自分が気になっていないから、それが何かは分からないけれど。
お互い様。
そうやって人は、協力し合いながら、
生きているんだろうな。
お互い様(^-^)。