・最近、自分の身の回りで起きた出来事と、
・大阪行きの新幹線の中で読んだSTEP/TEENのテキスト、
・大阪で友達と話した話題の内容。
そこから、一つとても大きな発見があったので書いてみる。
私の中で、「聴く」ということはとっても大切な行為で、
心理学の世界では必須とまで言えるくらい、重要なものだと思っていた。
だから、「聴く」は基本のキで、当たり前のことで、
「聴きたくない」って聴くことを放棄するということは、
「相手との良い関係を築こうとする努力を放棄すること」、
「相手との関係を良くすることに対する望みを自ら捨てること」
のように思っていたのかもしれない。
だから、聴きたくない場合でも我慢して聴く。
本当は聴きたくないけれども、そんな気持ちは見なかったことにして、
聴きたいと思っていることにする、
聴きたいと思っている自分であろうとする。
聴けない、聴きたくないというのは悪いことで、罪悪感を感じる。
そんな状態だったのかもしれない。
STEP/TEENのテキストの「聴き方」の章に、こんな箇所を見つけた。
「反映的な聴き方も節約して使ってください」
「子供(以下、相手、と読み替える)が、単にあなたの関心を引くために相談を持ち掛けた来たと思われるときは、はっきりと、しかし優しく。力にはなれないと言い渡してください。同時に、相手には、自分には自分で問題を解決する能力が備わっているはずだ、という信頼関係を表すのです。」
この、「あなたの関心を引くために」というのがミソで、
「関心を引かれたとき」っていうのは、チャートでいうと自分の気持ちが、「イライラしているとき」だったよね。
つまり、イライラするようなとき、聴きたくないときは、
聴こうとしない方がいいってこと!
次のページにも書いてある。
「あなた自身の限界については、あなたしか知りません。子供(=相手)の話に耳を傾けるか、それともその場は話を打ち切って、もっと落ち着いた別の機会に話し合うことにするかは、あなたが決めなくてはなりません」
「これは(中略)争いに対処しないで済むための方法ではありません。いったん打ち切るのは、相手との関係を悪くしかねないような非生産的な争いを防ぐための手段なのです。したがって、お互いを尊重する精神に基づいて使わなければなりません」
聴きたいか聴きたくないか、
今、自分は聴ける状態なのか、聴けない状態なのか、
分かるのは、自分しかいないんだ。
決めるのは、自分しかいないんだ。
自分の気持ちをごまかして、自分に嘘をついて、
聴きたくないのに、
今、聴ける精神状態にないのに、
聴けるもん、聴きたいはずだもん!と言い張っても、
イライラする、という感情が自然に湧いてきて、
イライラとする感情が、
「ほら、あなた、自分に嘘をついているでしょ」と教えてくれるんだ。
自分の感情が教えてくれる。
自分の感情に、嘘はつけないんだ。
だから、本当は聴きたくないとき、
聴いちゃだめなんだと思った。
今は聴けないの。と、正直に言えばいい。
これを言わずにごまかしたり逃げたりするから、また面倒なことになるのであって、
今、聴ける状態にない、ということは、別に悪いことではなくて、
これも、建設的な選択。生産的な手段の一つなんだ。
これは、対処から避けているわけではなく、
今は保留にする、という生産的な選択をしている、ということ。
よくあるのが、
自分に「引け目」があるとき。
自分が本来やらなければならないと思っていることを、
他の人にやってもらっていて、
その人が愚痴を言ったとき、
自分は、その人にやってもらっているという引け目がどこかにあるから、
せめて、その人の愚痴ぐらいは、聴かなきゃ!私が!と思って、
ときに、自分の許容量を超えて、
聴きたくない話まで聴こうと努力をしてしまったり、
聴かなければならない!と思って我慢してしまったりする。
聴きたくないときは、
聴かなくていいんだ。
聴かない方がいいんだ。
聴きたくないときに我慢してまで聴いたら、
それは既に、「好ましくない言動」の「関心を引く」の領域に入ってきているんだ。
これは、相手の状態ではなく、自分の状態から判断する。
自分の状態。自分の気持ちを見て判断するというのが、STEPのお決まりの方法。
ここにきて、やっと、STEP1章の本髄が分かってきた気がする!
このチャートの意義、ほんと長年よく分からなくて、
しょっちゅう私は何のためにあるんだ?何のためにあるんだ??と言っていたけれど(笑)、
本髄が見えてきた気がする。
全ては、自分の状態を見ることから。
目の前の状況は、それぞれの自分の状態が発していることだし、
世界は自分が作っている。ということに、つながる。
話を戻すと。
我慢して聴くのではなく、
「あなたのとても~な気持ちは理解できるけれど、今私は聴ける状態にない」
ということをはっきりと、伝える必要があるということ。
こんな感じで、保留にして時間経過した後、
状況が変わったり、聴けるようになったりすることも、
多々ある。
とにかく、
自分に嘘をつかないでいること。
これがベースだと感じた。
自分の正直な気持ちに、罪悪感は必要ない。
正直な気持ちを伝えることも、建設的な生産的な方法であるから、
そこに引け目を感じる必要はない。
工夫するのは伝え方だけ。
相手に引け目を感じるということは、
相手の能力を信頼していないということになる。
相手は、乗り越える力があるので、
相手に感謝して、自分は自分の得意なこと・好きなことをやる。
そして、時間が経過して、
もしくは自分が楽しいことをたくさんやって、
人の話を聴けるような状態になった時、
聴けばいい。
その時は、すぐ来るかもしれないし、
時間がいっぱいかかるかもしれないけれど、
その時が来た時が、聴くとき。
聴くときでないときに、
イライラしながら聴くものではない、と感じた。
「反映的な聴き方」も、
聴いた時がいいときと、
聴かない方がいいときと、あるということ。
これが分かったのは、大きい発見だったし、
これでさらに、随分楽になる気がする(*'ω'*)。
それだけ、自分の気持ちに自分が正直でいて、
自分が自分を守る必要があるということ。
自分という存在を自分で構築するということ。
自分を守るもの、自分の本当の声を聴けるのも、自分しかいないということ。
自分の心はこう言っている、と、
自信をもって、自分の心に耳を傾けて、
それをそのまま受け止めるということ。
そこに、罪悪感を載せないということ。
自分が拾った自分の本当の声は、
建設的に、生産的に、使うためにある、ということ。