どんな自分をも認めてくれて、
どんな自分をも応援してくれて、
失敗も、問題も、
どんなに転んでも、大丈夫だよと、
信じてくれる人。
何があっても味方でいてくれる人。
そんな人と出会いたいよね。
そんな人と仲間になりたいし、友達になりたいよね。
これ、一番最初は、
家族に求めるよね。
でも、気づいたのだけれども、
家族って、
一番これに近いようで遠いこともあるってこと!!!
かえって、他人の方が、
自分のありのままを受け入れてくれる、
どんな自分をも大丈夫だと言ってくれやすいこともあるのかも。
親族は、
自分が問題にしていないことまで問題にして指摘して来たりする。
一番の味方のようで、一番の障壁となることもある。
何でかというと、
家族は、血縁者は、近すぎるから!!
自分と一心同体に見えやすいから!!
他人だったら「よかよか^^」とスルーできることも、
家族がやっていたら我慢できぬ!!(憤怒)
ってなるのは、
家族の行動=自分
↓
・自分が世間から(親から)怒られる
・将来、失敗するであろう姿を、とても見ていられない
ってどこかで思っているからなのかもなぁ。
それ、「問題だと思っているその人(家族)の方の問題」なんだけどね。
自分が問題だと思っていないことを問題視されるのって、
あんまり気分が良いものじゃないよね。
これ、他人の家族の行動だったとしたら、
「将来大物になるで!きっと!(^0^)」とかって見ていられるし、放置できやすい。
ぶっちゃけ、他人のお子ちゃまや家族がどんな風になろうと、
自分は責任取らなくてもいいから(爆)。
それに、距離を置いて見ることが出来るから。
てことは、自分の身内の行動には、自分が責任を取ろうとしているってこと!?
そういうこと。
家族も、血縁者も、決して私と一心同体ではない。
どんなに分かり合おうとしても、
自分ではない。
コントロールできないものなんだよね。
いくら死ぬまで責任取ってあげようとしたって(笑)、
責任の取りようがない。不可能なことなんだよね。
どんな自分をも認めてくれて、
どんな自分をも応援してくれて、
失敗も、問題も、
どんなに転んでも、大丈夫だよと、
信じてくれる人。
何があっても味方でいてくれる人。
というのは、結局は、究極は、本当は、
自分だけなのだと。
血縁があろうとも、夫婦であろうとも、
親子であろうとも、
全知全能の私の守り神ではないということ。
その辺の線引きができていないとき、
関係が近ければ近いほど、
お互い、コントロールしたくなる。
いっそ、赤の他人とのほうが、
ほどよい距離感で、ほどよい信頼感を保ちやすいのかもしれない。
まぁ、この人大丈夫でしょ。って思える。
どんな選択も、
「そうすることにしたんだね」と。
もしかしたら遠回りかもしれない、
余計に転んで泣くかもしれない。
転んで泣いた様子を見て、自分も泣かされるかもしれない。
でもそれも含めて、
その人の選択を、
その人の責任の取り方を、
認めることが、
自分に対しても、家族に対しても、
最大の、「認める」って行為なのかもしれないなぁ。