今日は、なんと6か月ぶりにSTEP/TEEN。
台風の影響で何度も延期になっての開催で、約半年ぶり。
たまたま欠席者多数により、
今回は、復習会のような、プレ3章のような感じの開催となった。
1日を朝から晩まで岡山で過ごして、
終わってみると、やっぱり、得るものがたくさんあった。
もう、岡山に通い始めて5年位になるので、
講座はそろそろ卒業かな、と思うときもあるのだけれども、
講座の中だけでなく、その前後で、かなりたくさんの発見と高揚感があるので、
あぁ、やっぱり、「講座」としてではなく、
発見の場、自分の成長イベント、としても、
私がまだ必要としている場なのかもしれないな、と思った。
JRの中でだけでも、3時間半×2往復のたっぷりとした贅沢な時間が使える。
この時間に、本を読むととてもはかどって、3冊くらい読めたりする。
講座の内容×その日の体験×読書の内容で、
何倍にも、充実した時間が過ごせる。
これらの時間が楽しくてしょうがない(^-^)。
この日の講座で印象に残ったのは、
罪悪感というキーワード。
もうこれ。私、これのために、長年心理学やっているようなもんかもしれない (≧w≦)。
テキストには、
「罪悪感の目的=他人をコントロールしたい」
とある。
ほんま私、どんだけ他人をコントロールしたいんか!!と(笑)。
これ、とても深い言葉だと思う。
でもこういうのって、
無くそう無くそうとすればするほど、増えるから、
無くそうとするんじゃなくて、
発生するために、
「あ、あるな。」と
思い出すだけでいいのかもしれんね。
例えばね、
人が、何かを誘ってくれた時、でも、なんか気が乗らないとき。
断ることに罪悪感感じて、
行かない理由、断る理由を、一生懸命、説明しようとしたりすることがある。
行くことができない明確な理由があるときは、罪悪感無く断るし、
断ることに迷いの無いものは、すぐに断れる。
明確な理由が無くて、しかも、なんか少しは行きたいかもという気持ちもあって、
でも、今は進むタイミングじゃないかも、という気持ちもあるようなとき。
自分がなんとなくゆらゆら揺れているとき。
そのゆらゆら揺れる気持ちの処理を、他人に押し付けるかの如く(笑)、
言い訳を説明したりしている。
そして、後から気づく。
別に、言い訳説明しなくても、
誰にも怒られない(笑)
のだと。
選択しない理由を、相手に分かってもらおうとしなくてもいいのだと(笑)。
なんかモヤモヤする自分の迷いを、
他人に押し付けなくてもいい(笑)。
これ、自分の中の課題だな。と、自分の中で、処理したらいい。
なんか気が進まない理由、選択しない後ろ向きな理由を伝えられても、
相手もあんまりいい気持ちがしないしね。
あ、でも、「迷っているんだけど・・」と、そのまま正直に、相談するという方法はあるかもね。
ブログも同じかもしれない。
人のためや利益のために書いているわけじゃないのだから、
読みたい人だけが読んでくれたらいい。
読みたくない人のために、どうやったら読んでもらえるか?なんて
考えるためにやっているわけではないもんね。
・「共同体」のために、私が存在する
のではなく、
・私があって、共同体は、有る。私とともに、共同体はある。
そんなことが浮かんだ。
この章で、頻繁に出てくる言葉。
自分の感じ方には自分で責任を持つ
とにかく、この言葉がこれでもか!というくらいに出てくる。
STEPでは、
他人をコントロールするのではなく、
コントロールするのは、「選択」するのは、自分の方だよ、
というメッセージをとても強く感じる。
「まだ、人のせいにしているの?」っていう次元よね(笑)。
全部、自分が作りたくて作り上げている世界じゃん。てね。
自分が生きるのに、何かを選択するのに
「人の許可」って要らない。
人に同意してもらわないと、太鼓判押してもらわないと、
決断できない生き方を、
選ばなくてもいい。
人と違うことを選択しても、「怒られないんだよ」←笑
「罪悪感感じなくてもいいんだよ」
という体験を何度も何度も積み重ねるためにも、
私は岡山に通っているのでもあるのかもしれない(笑)。