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自己満足で勝手に楽しむ日記

楽しいことの寄せ集め。

ジャッジする人をジャッジしてしまうとき(2)

続き。 

 

 

「冷たい世界」・「ジャッジする世界」は、嫌だし、

その場に居ない第三者の話(陰口)をすることは良くない、と思っていた。

 

 

(↓これ、長いから後で行ってもいいかも。)

 

同時に、自分でも気づいてはいた。

「ジャッジしてはいけない」と思うこと自体が「ジャッジ」だと。

 

「ジャッジ」は、不安な人がすることだから、

目の前のジャッジしている人も不安かもしれないけれど、

「そのジャッジしている人」をジャッジしている私も、不安なのだということも。

 

 

 

 

「不安になっている人」をジャッジしてしまうのが、とても嫌だった。

 

そこまで分かっていても、

なかなか、そのジャッジを止めることができなかった。

 

こういうの↓を読んでも、

 「へぇ~。不安なんだ~。そういう人もいるよね。」

で終わらせることが出来ずに、

え~。あの人も不安?この人も不安?

世の中不安だらけ~~~!!

と思って、ますます不安になっていった。

 

 

 

 

 

それが、やっといい方法を見つけたかもしれない!!

 

私は、相手を「かわいそう」だと、哀れんでいたのかもしれない、と、

気づいたんだ。

 

不安になることは、よくないことで、怖いことで、気持ちの良いことではないことで、

不安に陥っている人は、かわいそうだと。

 

ここに問題があった!!!

 

 

「ジャッジする人」・「冷たい世界に住んでいる人」も、

うまくやっている!!愛されている!!

その人にもちゃんと仲間が居る!!

 

そっちの世界でも、大丈夫なんだ

ということ。

 

もし、そっちの世界の人を、どうにかしてあげなければならない必要があったとしても、

どうにかする、

その役割を持つ人は、私ではない。

 

ということ!!

 

心理学を学んでいるのだから、

私がどうにかしてあげなければならない、

とかいう気になったりしていたけれど、

 

 

私、いろいろやってみたけれど、

こういう役割、私には向いていない気がする。

世の中には、向いている人、自然に出来てしまう人が、

他にいる。

これは、少なくとも、私の役割ではないんだ。と。

それをしっかり覚えておくこと!!(≧w≦)←すぐ忘れる・笑

 

だから忘れないように、何度もこうして日記に書く!!!(≧w≦)。

 

 

話を元に戻すと(笑)、

 

 

「ジャッジしている人」や、「冷たい世界」に居る人を、

哀れんでいるってことは、

 

自分こそが、誰よりも「冷たい世界」に居るってことだった!!!!

(気づいたときの衝撃といったら!)

 

 

だってそうだわ。

「暖かい世界」に居たら、

世界は暖かいのだから、

「あの人、人のことジャッジしてばかりで不安でかわいそうだわ~。哀れだわ~」

なんて思うはずがない。

 

人のこと信じていないのは、自分だった!!!!

(気づいたときの衝撃といったら!)

 

 

 

 

 

 

思考の癖というか、持って行きやすさって、

人によって違うんだと思うんだけれども、

 

例えば、何か衝突があった相手に対して、

「どうせあんな人だから、誰も仲間が居ないんだろう」と、

徹底的にこき下ろした方が、自分が納得するという方法もあるかもしれない。

 

 

そして、一方、

「あの人も、別の所に、居場所があって、家庭があって、

仲間が居る。だから、私が接触しなくても、どうにかしなくても、大丈夫だ。」

と思う方法もある。ということに気づいた。

 

 

どうやら私は、後者の方が心地よいようだ。

 

これも、どっちがいい、ではないのだろう。

どっちが、自分がやりやすいか。

少なくとも私は、

 

まず、自分自身を、

「暖かい世界に」持ってくる。

 

そうすることで、自分が生きやすくなる。

楽になる、ということが分かった。

 

 

 

陰口を言っている人、ジャッジをしている人、

同業他社の批判をしている人も、

大丈夫なんだ!!

みんな、ちゃんと居場所があるんだ。

 

私に、居場所があるのと同じように、

みんな、それぞれ居場所があるんだ。

 

そして、私も、ここに居てもいい。

 

 

そう思うと、一気に楽になった。

 

世の中は、なんて暖かいのだろう!!と(≧w≦)。

 

 

 

 

恥ずかしいな~。

心理学を学んでいるからと言って、

自分は正解を知ったような気になっていたのかもしれんな~。

 

「「正解は無い」ってことを学んだ!!理解した!!ヽ(´▽`)/ 」って、

何回も何回も言ったり書いたりしておきながら、

まだまだ、まだまだ、

正解はあって、正解を知ったような気になっていたのかもしれんな~。

 

ナリ君の記事も、何度も読んだけれども、

昔の記事、また読み直すと、また違った感じに捕らえられたわ。

 

 

 ナリ君が、

ジャッジを止めたとき、

自分がジャッジをしていたことを、

「ジャッジしていた自分が恥ずかしくなるくらい自分をいじめたね(笑)」

って言っていたけれど ↓ 

 

 

ほんま、気づくと、

恥ずかしくなるね。

 

ジャッジしている人を恥ずかしく思っていた自分に対して、
輪を掛けて、恥ずかしくなるね。

 

って、こんな恥ずかしい私でも、

受け入れてくれるのがこの世の中。

 

 

ほら、世界は凄い!!

 

 

 
ジャッジする人は、

こだわりの強い人。

正義感の強い人。

世界を美しくする人。

能力の高い人。

でもある、とナリ君は言う。↓

 

ジャッジする人を、憐れむ必要なんて、どこにもなかった!(≧w≦)。

 

世の中は、暖かい、ということを、

思い出して、信じること。

 

みんな、大丈夫だってことを、思い出す、ということ。


みんな、ダイヤモンドだし、みんな、暖かい世界に居るってこと。

見えていないときがあるだけで、

みんな、居場所があるってこと。

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