男女の陰陽について語るとき、
真っ先に出てくる定番の言葉。
「女はご機嫌で沈黙」。
これね、何が難しいかって、
私は、「沈黙」の部分がめちゃくちゃ難しい(≧w≦)。
女は本来、おしゃべりな生き物なのじゃ(*'▽')。
夫と長年過ごすうちに、
夫の対妻スキルが上がって、
夫が聴き上手になっていたら、
これ、ますます難しい( ̄▽ ̄)。
ついつい、たくさん喋ってしまう。
喋り始めると、止まらない!!(笑)。
そして後から、しゃべりすぎたかも!!!と気づく(*'ω'*)。
それでね、これ、実践していて気づいたのだが、
自分の中に、なんらかの「不安」や「心配」があると、
無駄なおしゃべり(笑)は、加速するね。
喋って、どうにかこの不安や心配を、解消しようとしているね。
密かに、人に、不安を解消してもらおうとしているね。
これね、たぶん、解消する場所が、
違うんだよね。
これやっているって時点で、
「女はご機嫌で」の部分が、損なわれているってことなんよね。
不安は、ぶつける前に、
自分でどこかで解消してくるのが、得策なんだろうね。
不安をぶつけている時点で、
相手に不安があったり、信頼できていなかったりする、
ってことなんだもんね。
気がついた気がついた。
不安を解消したくてぶつけて喋りまくると、
その瞬間は、気持ちが良くてすっきりするかもしれないけれど、
これは、何だか違うぞ、と思った。
そもそも不安になる土俵に、乗らなければいいんだ。
私のやるべきことは、
不安になる土俵に乗らない工夫をすること。
その努力を、最大限にすることなんだ、
と思った。
不安の種を喋り倒してすっきりすることではない(´◉◞౪◟◉)。
「この不安、どうにかしてー!!!
私を分かってー!!」じゃないんだ。
きっと、他の努力は一切要らない。
要るのはたった一つだけ。
自分を不安にする土俵には乗らずに、
自分を快適にする所に行くこと。
たぶん、
これができていれば、何をどういうやり方でやろうとも、
目の前に見える人の「やり方」「行動の方法」って、
実はそれほど大きな問題ではないし、気にならないんだと思う。
自分の「在り方」さえ整っていれば、
どのような手段や方法を取ろうとも、
大丈夫なんだと思う。
もちろん、
「一緒に「不安」を解消していく」ということを、
絆を深める手段にする、
という考え方もあると思う。
それはそれで、いいと思う。
どんな位置が自分たちにとって、快適か?
目の前に起きているように見える問題は、
それ自体は本当は問題ではなくて、
たいていダミーだったりする。
向き合う対象は、問題そのものではなく、
自分の中だったりするのかも。
自分を配置する位置だったりするのかも。