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自己満足で勝手に楽しむ日記

楽しいことの寄せ集め。

役に立たない勉強って無いって思う理由。

少し前に、こんな日記を書いた。

I had written such a dialy  a little while ago. 

 

 これは私の勝手な主観なので、

反論が挙がれば簡単に論破されそうなんだけれども(*'ω'*)、

私の思いを書いてみる。

This is my original idea.
If someone object my opinion,I may lose my argument easily.

But I will try to write my opinion.

 

私は、勉強って、全教科、繋がっているのだと思う。

全教科もだし、日常生活にも。

 

 

例えば英語。

 

これは、外国の方とお喋りするためだけにあるんじゃないと思うんだ。

日本語と英語って、そもそも構造が違う。

だから、英語を使おうと思うと、

頭の中で、文章の大改造が起こる。

 

まず、日本語では殆ど意識しない主語を意識することから始めて、

今まで知っている単語、知っている構文、

知っている表現の使い方全ての中から、

どれを持ってくるか、瞬時に考えて、組み立てる。

 

これ、ネイティブの人や、慣れている人なら

反射的にできるのかもしれないけれど、

第二外国語として英語を使い慣れていない者からすると、ものすごい脳の鍛錬になる。

 

同じようなことを表現しても、使う単語、使う構文、使う文型の違いによって、

文章の表し方が全く違う形になったりする。

日本語直訳の英作文だと、なんかぎこちなくても、

ネイティブの英語では、こう表現するのか!こんなにすっきり分かりやすく表現できるのか!!って分かった時、

感動する。

 

使う単語の語源、その表現の根幹の意味を知ると、

文化の幹の部分の違いを感じたりして、

面白いな!と思うことがある。

 

例えば、deliver という単語。

日本語では、デリバリーといって、「配達」としてなじみが強いけれど、

英語では、deliver a babyで「出産する」って意味がある。

これを知った時、なんか感動した。

コウノトリを想像するよね。

 

日本語の漢字も、奥が深いけれど、

英語の単語の使い方も、

文化の奥が見えるんだ。

 

物事の発想の仕方には様々な形があることを知る。

 

 

そして、数学。

 

これも、私は英語と同じような面白さを感じる。

数学の問題を解くとき、

真っ白な解答用紙に、式を埋めていく作業は、

まるで何も書いていない原稿用紙に、

自分の言葉を紡いでいくのと同じような感覚がある。

 

数学って、自己表現であり、

数学って、国語だと、私は思うんだ。

 

そして、英語と同じで、

使える定理、使える公式、使える補助線、

どれを使えばいいかな?と頭を巡らせて当てはめて、

表現していく。

これは、英語の構文を探して、

言語をまるごとひっくり返していく作業に似ている。

その国の表現の仕方、発想の仕方に則って、

表現していく。

最初はその規則はちんぷんかんぷんなんだけれども、

こういう表現の仕方、分解の仕方があるのね!

と受け入れ、自分もやってみる、という世界。

これは、数学も英語も、同じだと思うんだ。

 

 

そして、国語。

これは、言うまでもなく、文章の表現。

私が他の教科と違う魅力を感じているのは、

英語や数学のように、こうでなければならない!という規則を離れて、

芸術的な表現も許されている所。

 

英語や数学のように、構造のはっきりとした論説文もあるけれど、

文学作品のように、行間を読む、だとか、

答が一つではない、というのを味わえる教科。

 

そして、私が一番大好きなのは、

自由に、自分を表現することもできるということ。

 

 

そして、理科と社会は、

言うまでもなく、

実生活そのものであるということ。

 

物理や化学の不思議は、神秘的だし、

社会は、今の世の中がどうやって作られたか、

今、どういう思想でどういう意図で形成され、

回っているのか、

そういうのが、見えてくる。

 

 

 

 

そして、おまけに、最近出てきた

プログラミング教育。

 

これは、よく言われているけれど、

プログラムを組めるようになることだけが目的ではない、と私も思う。

 

プログラムを組む前に、

アルゴリズムを自分で考える。

これが、物事を順序立てて、論理的に考える訓練になると思うんだ。

ハプニングが起こった時、

感情的になって取り乱すのではなく、

一つ一つ分解して、解決方法を組み立てていく。

そんな力が付くんだと思うんだよね。

 

 

 

こんな感じで、学校で学ぶ全ての教科は、

人間形成の基礎になっていて、

やって損したとか、やって無駄になった、ってものは、

一つも無いと思う。

 

 

何か苦手な分野があって、それが特にできなくても、

それはそれでいいし、

やりたくなかったら、やらなくてもいいんだと思う。

けれども、やって損した、とか、

やって時間を無駄にした、とかは、無いと思う。

 

面白さって、どこにでもある。

 

 

だからって、これを、みんながやらなければならないってわけではなくて、

 

それぞれが、それぞれの、面白さを

みつけていけばいいのだと思う。

 

 

亀の進みでも、

ちょこちょこ触れていくことによって、

みんな、全科目、全世界、全部が全部、

繋がっていることに、気づく。

 

私は、それが楽しくて、

勉強が好きなんだと思う。(なかなか成果には出て来ていないかもしれないけれどね(*'ω'*)。)

 

 

新たに何かを習得して、自分に変化を起こすっていう作業は、地味な作業かもしれないけれど、

ワクワクする。
人は、自分は、どこまでも、変化していけるし、無駄なことって、何一つ無いって思う。

 

学問は、先人の何千年、何万年もの知恵であり、

昔人からの語り掛けでもある。

何千年もの年月を超えた、対話でもあるんだと思う。

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