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自己満足で勝手に楽しむ日記

楽しいことの寄せ集め。

『命令してくる人』に対して、「命令するな」と命令する。(≧w≦)

「『命令してくる人』に対して、「命令するな」と命令する。」

また浮かんだ!
今、こういうのばっかり浮かんでくる(≧w≦)!

 

 

・「完璧を求めてくる人」に、『「完璧を求めるべきではない」、という完璧』を求める

・「悪口を言っている人」に対して、悪口を言うなんて!という悪口を言う

・『命令してくる人』に対して、「命令するな」と命令する。

 

 


完璧を求めてきたり、
陰口を言ったり、
命令したり、

を、

「しないでよー!!」と、
相手に要求しているうちは、
実は、自分も同じことをしている、ということ。


そうしてくる相手を、「そのまま受け止める」ことは、
相手への服従であったり、同一化になったりするような気がして、

「そんなこと、しないでよー!」と過剰に反応してしまうかもしれないけれど、


そうやって反応することの方が、
実は、
相手と同一化している、ということ。


完璧を求めてくる相手、
悪口を言う相手、
命令してくる相手、

どれをも、「『あなたは』そうなんだね」、と、見たら、
その後、

それを「受け入れるかどうか」は、
「自分」が決めればいい。
服従」ではなく、「自分」が決めること。

「自分」に選択権があるのにも関わらず、「自分」の方ではなく、
「自分を変えようとしてくる相手の行動」を、変えようとすることは、
相手と同じ事をしている、ということ。

 

 


そう思って一呼吸置いたら、

この、相手からの言葉が、強制的服従を強いた命令や叱責ではなく、
「困っている相手」の協力を求める言葉に変わり、

協力しようかな、
という気持ちになれるかもしれないな。

 

 

相手は、私の野原に入ってこようとしているわけではなく、
自分の野原が荒れているから助けて!!と叫んでいる。

その叫び方が、「お前が変われ!」と言っているように聞こえて、
攻撃された!!と感じ、
防衛のために、反撃しようとしてしまうけれど、


これ、もともとは攻撃ではなく、

「助けて!」のサイン。

 


そして、その「助けて!」のサインは、
同時に、自分の中にもあった。

だから、相手の言動に、過剰反応するんだね。

 


相手は、自分の合わせ鏡である、ということ。

見えているのは、
それが、
自分の痛いところだから。

 

When a person commands me,
if I command that you don't have to command,
it is the same as I command a person.

The partner is their own mirrors set against each other.

 

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